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りはぴょん5;みんなで看護を語ってみよう会 

 

まいにちまいにち

身も心も粉にして働く看護師さん

どうして 看護師に?

どうして なりたいと思ったの?

 

 

当院の2N病棟では「個人の看護観」

や 「看護実践」を共有して 

お互いの「相互理解」を

ふかめることを目標に

定期的に 自分の経験や看護観を

語る会を おこなってるそうです.

 

はじめのうちは みんな集まって

本当に 語っていたらしんだけど

新型コロナがはやってからは

紙にして 病棟の みんなに

読んでもらってるんだって!

 

 

読んだら ひとりひとり それぞれ

感想をかいて本人にわたすそうです

 

前看護師長のアイデイアではじまった

「看護を語ってみようかい(会)」

 

今でも こうして 続いています!

 

 

 

みんなからもらった 何枚もの感想用紙

一生のたからものだよね!

 

会を継続している

2N病棟の「素敵♡」なみなさん 

どうもありがとう

 

 

ドクターKの独りごと16.「謹厳実直」野茂英雄

アメリカメジャーリーグで、打者と投手の「二刀流」で大活躍の大谷選手が新聞をにぎわしている。屈託のないその笑顔をみるたびに、私は今から20年以上も前にメジャーリーグで活躍した彼を思いだす。

 

1995年7月11日、アメリカ・テキサス州アーリントン球場で開催されたメジャーリーグオールスターゲーム。先発マウンドには野茂英雄が立っていた。日本人初の快挙である。彼は...けっして笑顔でメジャーリーグに挑戦したわけではない。日本プロ野球界から追い出されるように太平洋を渡らざるを得なかった。そして近鉄時代の年俸の実に1/10以下の契約で彼はアメリカの土を踏むことになったのだ。

 

「ドクターK」。スコアブックに三振(K)のマークがあまりにも並ぶため、彼は好意を込めて皆からそう呼ばれた。ロサンジェルス・ドジャースでメジャーデビューすると、その非凡な才能はすぐに頭角を現した。脱三振の山。「日本人がメジャーで通用するわけがない」と言われていた時代にである。そしてその年の7月にオールスター先発。2イニング1安打無失点3三振に抑えた25球。1年前の日本人の誰が想像したであろうか?

 

圧巻はメジャーリーグ屈指のホームランバッター、トーマスとの勝負。全球直球勝負の1ボール2ストライク。そして4球目、おそらくキャッチャーはフォークを要求したのだろう。そのサインになんと首を振る!そして投げた球は…内角高め渾身の直球!トーマスの唸るようなフルスイング。「カーーン!」…打った球はどこまでも高く上がったキャッチャーフライ…トーマスのバットが野茂の投げた球に差し込まれたかのように見えたのは錯覚だろうか?それにしても、あのトーマスに全球ストレートの真向勝負とは!当時のこの動画、何度見ても感動の涙を禁じ得ない。

 

アメリカに渡る時の記者会見で英語は大丈夫かと質問された時、野茂はこう言った

 

「僕は英語を話すのに行くのではなくて野球をしに行くのです」

アメリカから帰ってきたときの記者会見でストライクゾーンは大丈夫だったかと質問された時、野茂はこう言った

 

「僕が戦ってきたのは打者であって審判ではありません」

 

自分の力を信じて貫く実直な生き方は、ある意味不器用なのかもしれない。しかしそんな彼の生き方に誰が異議を唱えようか?

    *     *     *

 

昔、脳卒中で右手が動かなくなった若い女性がいた。何か月リハビリしても右腕はピクリともしない。『ちょっと難しいかな…』そう思いかけたとき、ようやく筋の収縮が認められはじめた。かと思うと、あれよあれよと良くなっていくではないか!彼女の目標は長い髪を後ろでお団子にまとめること。それが実現した時、我々医療スタッフは手をたたいて喜んだ。でも彼女はにこりともせずこう言った「これは違う。(髪の)お団子は頭のてっぺんでつくれないとだめだ!」…それからまもなく彼女は本当にそれを実現してしまったのだ!ミラーイメージのトレーニングを提案し,段ボールで手作りしてくれたリハビリセラピストにも脱帽した。リハビリセラピストも諦めていなかったのだ!

 

これを機に私は,患者の様々な可能性に対して「無理」という言葉は使うまいと決めた。患者と共にその可能性を信じ、どうしたらそれをもっと引き出すことができるか?ということだけを考えようと決めた。

    *    *    *

それにしてもこの年のMLBオールスターのメンバー。マルティネス、トーマス、リプケン、ロドリゲス、ボンズ、ランディジョンソン…そして野茂。プレステのドリームチームか?とつっこみたくなるような選手ばかりだ。カメラの前ではあまり笑わない野茂なのだが、グランドで皆とハイタッチする少年のような笑顔が忘れられない(そりゃ楽しいだろう)。(敬称略)

旭川リハビリテーション病院副院長

りはぴょん5;看護助手さんの絵

 

こんにちは りはぴょんです

 

4階南病棟を歩いていたら,廊下に

「素敵♡」な絵を見つけました

外国から来た看護助手さんが書いた

んだって!

 

 

あかいとまとの髪飾り

大のお気に入りな こねこちゃん 

 

 

 

輝く光を浴びながら 

真夏 まぶしい 花娘

 

 

 

朱色のなか

寝床に帰る からすたち

今日も 一日 がんばったね 

また明日

 

「素敵♡」な絵

どうもありがとう!

 

「烈夏」旭川2021

Strings K がはじめての旭川の夏を経験する皆様にお届けします。「烈夏」旭川。

すばらしい旭川の夏を写真と音楽で楽しんでください。

Chúng tôi sẽ mang đến cho tất cả những ai lần đầu tiên trải nghiệm mùa hè ở Asahikawa. “Rekka” Asahikawa.

Tận hưởng mùa hè tuyệt vời của Asahikawa.

ここからごらんいただけます。  

Strings K 代表 小山聡

りはぴょん4;たなばたまつり

 

ささのは さらさら~♪

 

こんにちは りはぴょんです       

8月7日は北海道の七夕です

 

当院病棟にもたくさんの短冊が

患者さん みんなの 思いをこめて

色とりどりに 飾られています

 

 

 

 

五色(ごしき)の短冊

わたしが  書いた

おほしさま きらきら

そらから  みてる

 

そらから願いをみているのは

はた織りが得意な織姫様らしいよ

でも それを実現するのは自分

 

夢にむかって努力する自分を

お空のうえからみていてください

っていう意味らしいよ

 

かざりを準備してくださった

病棟スタッフの

「素敵♡」なみなさん

どうもありがとう

 

りはぴょん3;ラベンダーロード

 

こんにちは りはぴょんです       

 

当院前の歩道には今,
ラベンダーがきれいに咲いています

 

すごくいい匂いがして
こころがやすまります

緊張や不安で眠れない患者さんも
これなら大丈夫(^_^)

 

 

 

ところでこのお花畑
だれがきれいにしてるんだろう?

どなたかはわからないけれど
病院前のお花畑をお手入れしてくれる
「素敵♡」なみなさん 

どうもありがとう!

 

 

りはぴょん2;新型コロナワクチン

 

 

こんにちは りはぴょんです       

 

 

当院にも毎日たくさんのひとが

ワクチンをうちに 病院に訪れます

 

さぞかし外来待合室はごった返し(◎_◎;)

 

と思ったら...

 

意外にも混んでいなくて

みなさん  スムーズに接種して

にこやかに 帰っています

 

 

医師や看護師はもちろんだけれど

 

みなさんを受付する当院の事務職員や

誘導するボランテイアのみんなが

笑顔で 一生懸命

はたらいてくれているからです

 

 

電話対応とか

ワクチン注射の準備など 

 

みえないところで

はたらいている職員もいます

 

「素敵♡」なみなさん 

どうもありがとう

 

 

 

ちなみに

注射はここにうちます

 

 

写真を参考に みなさん

注射しやすい服装できてくださいね!

 

りはぴょん1;こいのぼり

 

こんにちは りはぴょんです       

 

3階南病棟を歩いていたら,廊下で

「素敵♡」なこいのぼりを見つけました

3階南の看護師さんが患者さんと一緒に

つくったんだって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鯉って 生命力があって

たくましくて 丈夫で

きれいな川以外でも

とっても力強く生きるらしいよ

 

そういわれてみると

こいのぼりってみんな

風に向かって泳いでるもんね

 

 

新型コロナ感染のお詫び

2021年5月7日に当院で発生した新型コロナウイルス感染は,最終発生日より3週間経過したことにより2021年6月8日から発生病棟での入院加療を通常状態へと復帰することができました。

 

多くの方々にたいへんご迷惑おかけしたことを心より陳謝申し上げます。なにより、十分な医療を提供できなかった患者さんには申し訳なくて筆舌に尽くしがたく、更には患者さんご家族の心情を思うと言葉もありません。

 

当院の基本哲学は「患者さんが、まんなかの医療」です。でも、いざそのときがきたら至らぬ点も多々あったかと存じます。

 

私達は患者さんの心を自分の事のように思いやり、強い信頼感で結ばれた病院になるよう

これからも誠心誠意努力いたす所存です。

 

お詫びかたがた上記のご報告を申し上げます。

 

旭川リハビリテーション病院副院長  小山 聡  

StringsKより、2021年度旭川リハビリテーション病院新入職員の皆さまへ

新入職員の皆さま、ご入職おめでとうございます。本来であれば皆様の歓迎会で演奏予定だったこの曲を、Strings Kが皆様にメッセージを添えてリモート演奏でお届けします。

こちらから動画をご覧いただけます。

 

Strings K(ストリングス ケー)は、旭川市で活動する吹奏楽団です。2013年に旭川リハビリテーション病院 小山医師が、職員と3名でクリスマスの演奏をしたのが始まりで、少しずつ人数と活動を拡大してきました。病院のグループ系列である進藤病院、旭川リハビリテーション病院、あさひ園、太陽園に在職中の方なら、どなたでも参加できる団体です。現在は小山医師を中心に15名ほどで活動しています(2018年現在)。バンド名は「K」(小山医師)の糸(Strings)が系列4施設を繋ぐという意味を込めて、旭川リハビリテーション病院 進藤順哉先生が命名しました(Strings K;YouTubeより)。

2021年度旭川リハビリテーション病院新入職員の皆さまへ

新入職員の皆さま、ご入職おめでとうございます。数ある職場のなかから当院をお選びいただきありがとうございます。今年度も30名を超える職員が仲間に加わりました。皆さまと一緒に働けることを、我々は心から嬉しく思っています。「患者さんがまん中の医療」を目指して一緒に頑張りましょうね!皆さまが立派な社会人として成長していくことを期待しています。そのためには、

  いつでも聞いてください

  どこでも相談をしてください

  何度でも質問してください 

そして一番大事なことですが...

  くれぐれも心身の健康に気をつけて 

  ください

 

これからずっとみなさんと一緒に働けるように我々も努力します。どうぞよろしくお願いいたします。

 

  May the Rehabili be with you!  

 

旭川リハビリテーション病院副院長 

            小山 聡

 

追記)2021年4月以前に新規ご入職された皆さまにも重ねてお礼申し上げます。

ドクターKの独りごと15. 「あかとんぼ」という名のとんぼはいない

「赤とんぼ」シリーズ連続してしまいましたがこれで最後です。「赤とんぼ」について調べていくと更にもう1つ驚くべきことがわかった。「あかとんぼ」という名のトンボはいないのだ。では我々が秋の日によく見る赤い色をしたトンボはなんなのか?調べてみるとトンボ科アカネ属、その中でもアキアカネという種であるらしい。また、赤ではないがオレンジ色をしたウスバキトンボ(トンボ科ウスバキトンボ属)も「あかとんぼ」と呼ばれることが多いらしい。西日本ではうすばきとんぼが多い一方で東日本はアキアカネが多いことから、三木露風が「あかとんぼ」を作詞した北海道で実際に見たあかとんぼはアキアカネで、幼少時代にみたあかとんぼはウスバキトンボである可能性が高い。

 

ウスバキトンボは世界中の熱帯・温帯地域に広く分布し、日本のほとんどの地域では、毎年春から秋にかけて飛んでいるが、冬には姿を消すようだ。お盆の頃に成虫がたくさん発生することから「精霊とんぼ」とか「盆とんぼ」などと呼ばれる。卵は数日のうちに孵化し、すぐに脱皮して幼虫となる。幼虫は急速に成長し、1か月ほどで羽化して空に飛び立つ。ウスバキトンボはまず東南アジアや中国大陸で発生し、数回の世代交代を繰り返しながら、日本を北上する。南西諸島や九州、四国では4月中旬に飛び始め、本州南部では5〜6月、中部山岳地帯や東北地方では7〜8月、そして北海道では9月と徐々に北上する。しかし寒くなると死滅してしまう。生物が生きる条件が悪くなった時、条件の良いところに移動しないでそのまま死滅する場合、死滅回遊(しめつかいゆう)あるいは無効分散という。春の終わりに大陸から日本に渡ってきたウスバキトンボの子孫は、ついには全滅してしまう。大陸から日本を目指すウスバキトンボの一族にとっては、まさに片道切符の行軍なのだ。いくつもの世代交代をしてまで彼らはなぜ北海道に来るのだろうか?どうしてこんな無謀な侵攻を繰り返しているのか。何がトンボたちを決死の旅に駆り立てるのか。すべては謎である。(稲垣 栄洋,生き物の死にざま はかない命の物語,草思社,2020)

*  *  *

「あとは若い人に任せてご勇退なさっては?」70歳を過ぎても現役で会社を切り盛りし、誰よりも働いている患者さんがいた。「みんなにそう言われるなあ。でも、まだまだよ。倒れるまで働くわ」豪快に笑いながら「じゃ、また来月たのむよ」といって診察室をでたのが最後だった。脳出血でバッタリと倒れ、急性期病院で手術をしていただき、一命は取り留めたものの全くの意識がない状態で当院に転院となった。名前を呼んでも体を揺さぶってもうんともすんとも返事はない。「全身管理をしながらリハビリを続けて、少しでも良くなるよう最善を尽くします」。転院時にはじめてお会いしたご家族にそうは話してみたものの、患者さんはその後まもなく肺炎をこじらせてあっという間に亡くなってしまった。お見送りの時御奥様から「もっと早くに仕事をやめさせていればこんなことにならなかったのでしょうか?」と聞かれた。「ご主人はご主人の生を120%生き抜いたと思います」そんなことを答えたように思う。そしてそのとき気がついた。私は彼の生き方を全く理解していなかった、と。「生涯現役」という自己実現の目標に対して私は彼にいったい何をしてあげたのだろうか?そしてあのとき、どうして本人に「いつまでも元気で働けるように体調管理をしっかりとされてください」と言えなかったのだろうか?…. 「もう引退したら?」と言ってしまったことを今でも悔やんでいる。

 

旭川リハビリテーション病院副院長

ドクターKの独りごと14.「赤とんぼ」の母

「赤とんぼ」について調べていくと驚くべきことがわかった。作詞の三木露風が幼少のとき離婚により生き別れとなった母「碧川かた(みどりかわかた)」さんのことである。

かたさんは離婚後、三木露風を祖父母に預け、露風の弟である乳飲み子を引き取り育てながら学校に通い、東京帝国大学病院の看護婦(師)となっている。彼女の人生はそこで終わらない。その後彼女は、日本初の婦人団体である新婦人協会に属し、女性の社会的自立や政治・社会への男女共同参画、婦人参政権運動などさまざまな女性解放運動に挺身したのだ。また、「足尾鉱毒事件」の救済活動や「米よこせ運動」「廃娼運動」「禁酒運動」「狂犬病撲滅運動」等多方面にわたって身を投じた。また、三木家とは家族ぐるみの付き合いをおこない、「かた」の実子の長男にあたる三木露風は碧川家からも尊重されていたようだ。実際、彼女の墓票には『赤とんぼの母 此処に眠る』と三木露風の染筆によって記されている。

 

明治・大正・昭和と3つの時代を奔走し、関東大震災、東京大空襲を生き抜き、戦前という世の中で女性解放や男女平等や命の重み,家族の大切さを説いた彼女の行動力。1962年に93歳(90歳との説もある)で永眠するまで時代に翻弄されることなく自らの「生」を生き抜いた彼女の生き方。ある意味凄みさえ感じる。

 

「山に野にしもべとなりて詩歌つくり あれし日本の人に尽くせよ」

 

詩人となった息子を励ます母「かた」が露風に送った手紙の一文である。くれぐれも健康に注意してとか、無理をしないで少しは体を休めなさい...ではない。日本を良くするために(仕事である歌をつくって)身を粉にして働きなさい!といったところだろうか…

 

あっぱれとしかいいようがない。

*  *  *

年老いた夫が助からない病気となって入院したとき「じいさんは若いころ好き勝手やって楽しんだんだ。しょうがないのさ!」嫌だ嫌だという夫に対して大声でそう言い放った奥様。しかしそうは言いながらも毎日病院に通っては朝食を介助し、昼は夫の傍で手弁当を食し、「じいさんはわがままだから看護婦さんの迷惑になったら申し訳ない」と、夕食の介助をしてから消灯前まであれこれと世話をしてから帰路についた。歯磨きから下の世話まで手伝い、苦しいと弱音を吐く夫をしかりつけながら、背中をさすったりしていた。やることがないときはベッドのわきに硬い丸椅子を置いて過ごしていた。腰を悪くするからと勧めたクッション付き背もたれ椅子には「申し訳ないから....」と1度も座ることはなかった。そんな日々がいつまでも続くのかと思っていた矢先、ご主人は2回目の正月を病院で迎える直前に亡くなった。ご臨終のときも表情を崩すことなく、気丈にも「ありがとうございました」と深々と頭を下げていた。そして最後、病院を出るときにはじめて人前で見せた大粒の涙…

 

あっぱれとしかいいようがない。

 

旭川リハビリテーション病院副院長

 

ドクターKの独りごと13.「赤とんぼ」三木露風

ゆうやけ こやけの あかとんぼ

おわれてみたのは いつのひか…

 

誰もが1度は歌ったことがあるであろう「あかとんぼ」。

 

この歌には、我々の心の奥深くを震わせる感動がある。生まれ故郷への慕情。親のぬくもり。愛する人との別れ。人それぞれ思いは違っても湧きおこる感情は同じであろう。

 

「赤とんぼ」の歌詞は三木露風(みき ろふう 1889-1964)という兵庫県出身の詩人が書いたもので、彼が北海道函館市の西に隣接する北斗市トラピスト修道院に講師として赴任していたときに詠った詩である。詞の主人公は三木露風自身で、トラピスト修道院で幼い頃を思い出して書いたものであることが自筆のメモに記されている。幼いころに実母と生き別れとなった露風は子守り奉公の姐やに育てられてた。夕日の中、竿の先に佇む赤とんぼをみて、露風は姐やに背負われながらみた赤とんぼの記憶とオーバーラップしたのだろう。

 

十五で姐(ねえ)やは嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた

 

お嫁に行った姐やのことは自然と話題にならなくなり、大人たちはみんな忘れてしまっている。でも「私」はふと想い出してはたまらなく懐かしい気持ちになる。姐やは今どうしているのだろうか....姐やに対する思慕の情。姐やがいなくなった後、再び孤独となった嘆きの心情を竿の先にとまっている1匹の赤とんぼに重ねて詠ったのであろうことが推測される(家森長治郎,奈良教育大国文,5,4-11,1981)。幼くして生き別れとなった母親に対する露風の母恋、一緒に桑の実を摘んだやさしい姐やへの思慕は、1匹の赤とんぼに二重写しとなっている。

 

   *    *    *

 

全身状態が悪く、意識が朦朧とする中で繰り返し「おかあさん…」と呼び続けている高齢の患者さんがいた。彼のまぶたの裏に浮かぶおかあさんは一体だれを指すのだろう?大正生まれのその彼は、私が想像もつかないような幼少時代を過ごしてきたに違いない。布団の中でそっとその手を握ってみた。そしたらまもなく静かになって眠ってしまった。

 

赤とんぼ とまっているよ 竿の先

 

とんぼは変温動物で、秋の夕暮れでは飛び立つ前に日光を十分浴びて体温を上げるそうだ。そのため横腹と日光の角度を調節しやすい「先っぽ」にとまる必要があるとのこと。太陽の光を「明日に飛び立つ糧」にするのはとんぼも我々も同じである。

 

旭川リハビリテーション病院副院長

 

ベトナムの皆様へ

Chào mừng bạn đến Asahikawa! ようこそ 旭川へ!

 

ベトナムの皆様 ようこそ 旭川へ!

皆様を心から歓迎します。

Người dân Việt Nam Chào mừng bạn đến Asahikawa!

Tôi chân thành chào đón tất cả các bạn.

 

歓迎の気持ちを込めてStrings K(リハビリテーション病院)が皆さんにリモートで演奏いたします.どうぞ聞いてください。

Với một cảm giác chào đón

Strings K (Rehabilitation hosp) đã phát bài hát này từ xa. 

Xin hãy lắng nghe.

 

こちらから動画をご覧いただけます。

 

Strings K là một ban nhạc kèn đồng hoạt động ở Asahikawa. Bất kỳ ai đang làm việc tại Bệnh viện Shindo, Bệnh viện Phục hồi chức năng Asahikawa, Asahien, hoặc Taiyoen, có liên kết với nhóm, đều có thể tham gia.

ドクターKの独りごと12.「闘魂の人情」星野仙一 2

「魂を込めた生涯」という言葉がぴったりの男、星野仙一。現役から監督に至るまで打倒巨人のスタンスを貫き、その巨人を倒して自身初の日本一になった2013年(前回のブログ参照)。今日の話はそのちょうど10年前の2003年10月7日、甲子園球場、巨人対阪神最終戦のエピソードである。

 

この年で原監督は巨人監督の辞任が決まっていた。セリーグ優勝が決まっていた阪神。試合終了後、本来であれば六甲おろしで盛り上がるはずが、なぜか沸き起こる「原辰徳」コール。しかもタイガースファンで埋め尽くされたライトスタンドからである。辰徳コールはまもなく甲子園球場全体に広がった。ブルペンで不思議な表情で立ち尽くす原監督。そのとき、場内にウグイス嬢の声「読売ジャイアンツ・原監督に、阪神タイガース・星野監督から、花束が贈呈されます」。

 

「ご苦労様。くじけるなよ! これからだぞタツ!! 必ず帰って来るんだから!!!」

 

花束を受け取った原監督に、星野監督はそう話したそうだ。阪神ファンからの「HARA」コール。宿敵・星野からの花束贈呈。そして敵陣、甲子園球場で原監督の退任スピーチ。想定外の出来事に感極まり、涙腺が崩壊する原監督。阪神ファンで埋め尽くされた甲子園球場で大きな拍手と「原辰徳」コールを背にグラウンドから去る原監督。六甲おろしを封印し、レフトスタンドの巨人ファンの声援を優先する阪神ファン。阪神がセ・リーグ優勝したラストゲームであったにも関わらずだ。なんというシーンなのだろう!

 

原監督の無念を代弁したかのようなこのセレモニー。星野監督の計らいだったらしい。

「夢の続きを胸の中で温め、明日からも生きていく」

原監督はそう言ってグラウンドを去った。巨人ファンとかアンチ巨人とかは関係ない。見ている人が全員、原辰徳という人間を心から応援したくなった瞬間だった。

 

原が巨人の監督として再びグラウンドに立ち、日本一を争って、今度は楽天監督としてグラウンドに立った闘魂・星野と対戦した2013年日本シリーズの名勝負は、それから10年後のことである。

   *    *    *

どうして自分がこんな目に….理不尽な思いで心が折れそうになることはよくある。脳卒中で突然体が動かなくなった患者さんはみなそう思うに違いない。しかしどの患者さんも必ず病気を受けとめ前を向いて立ちあがる。なぜか? それは親や家族や兄弟、子供や友人をはじめ、医療スタッフ、介護スタッフ…患者さんを中心に実に多くのそして様々な人間が病気の快復を信じて心から関わるからだ。「患者さんが真ん中の医療」この言葉の意味はそういう意味である。

 

余談ではあるが2009年、中日の立浪が引退する最終試合。再び巨人の監督となった原監督はグラウンドからベンチに戻る立浪を包容してねぎらった。2015年のクライマックスシリーズ巨人阪神戦。ゲームセット後、その日で退任する阪神の和田監督をブルペンまで出向き、握手を求める原監督の姿。原監督はこれからもこうした行動は続けるのだろう…闘魂・星野の遺徳の顕彰と思いたい。(敬称略)

旭川リハビリテーション病院副院長 

ドクターKの独りごと11.「闘魂の涙」星野仙一

すごい試合だったらしい。残念ながらリアルタイムで見ることはできなかった。2013年11月3日。東北楽天ゴールデンイーグルス対読売ジャイアンツの日本シリーズ第7戦。

 

24勝無敗でシーズンを終えた楽天のエース田中。多くの道産子はマー君の大ファンだ。だから日ハム戦でマー君が登板の時にはどちらを応援したらよいのか困る。そんな我らのマー君は前日の日本シリーズ第6戦、渾身の160球完投ながらも巨人に負け、シーズン初黒星がついた。3勝3敗で今日が日本シリーズ天王山という11月3日。3対0楽天リードで迎えた9回。この回を抑えれば楽天初の日本一という大場面。星野監督は選手交代を告げた。「ピッチャー田中」。闘魂星野の顔が綻んだ。悲鳴にも似た場内の歓声。気を利かせたのだろう....実況は無言の30秒。観客席から鳴り響く大合唱「あと1つ」。

 

先頭打者は村田。3球目をセンター前に持っていくとロペスはライト前にヒット。巨人も最後まで必死に戦いぬいてくる。打者2人を抑えて2アウト3塁1塁。この年のオフにポスティングでのメジャー移籍を宣言していた田中。日本での雄姿はこれが最後なのか…あと1つ!勝利の瞬間まで厳しい表情を崩さなかった田中とは反対に、柔らかい眼差しの闘将星野は、だんだん涙をこらえた表情に変わっていった。最後の打者をアウトにした田中。感極まって泣きじゃくる楽天の選手。場内の大歓声。しかしそれとは対照的にマー君は、なんというか、妙に落ち着いた、柔らかくて、清々しい表情だった。そう…夏の甲子園決勝で負けが決まった、あの瞬間(とき)と同じように。

 

「前日に160球を投げた投手を次の日にも投げさせるのか?」試合のあと様々な意見が飛び交った。科学的には無茶な話らしい。でも忘れてはいないだろうか?マー君が夏の甲子園で連投に連投を重ねて投げぬいたことを。田中だけではない。甲子園で活躍する投手はきっと科学や常識ではひとくくりにできない何かをもっているのだろう。幼少から一貫して投手であった星野監督。俺以上の闘魂投手はいない。でもマー君に出会って認めたのではないか?こいつは俺を超えたはじめての人間だ、と。

*     *    *    *

医学は科学だ。膨大な臨床データや調査結果、すなわち科学的根拠をもとに診療を進めていく。決して個人的な経験や感覚に頼って治療をしているわけではない。しかし、医療現場ではそうした根拠が覆されることがある。絶対に無理だろうと考えていた病態が良くなることもある。ひとは「ひと」としてけっしてひとくくりにはできない。エビデンス(科学的根拠)通りにいかないことも当然ある。ひとは、過去のデータに則って生きているのではない。目の前の患者の未来を決めるのは過去のデータではなく紛れもない、患者自身だ。

*     *    *    *

星野は「監督に逆らえる選手がいないのがさびしい。選手交代された時に『大丈夫です。まだやれます』という気迫がある選手が欲しい」と語ったことがあるそうだ。マー君はこの試合、自ら志願したのだろうか?それとも監督に行けと言われたのだろうか?そんなことはどうでもいい…マウンドに立った田中の闘魂は十分すぎるほど星野監督に、そしてカメラの向こうの我々にも伝わったのだから。(敬称略)

旭川リハビリテーション病院副院長 

ドクターKの独りごと10. 「オフロードパス」

タックルされながら味方にボールを託すラグビーのプレーをオフロードパスというらしい。投げた球が相手にとられる危険が高いため、これまでの日本ラグビー界ではあまりプレーされていなかったようだ。2019年秋、悲願のワールドカップ8強入りを決め、日本ラグビーの歴史を変えたチームジャパン。その試合でオフロードパスは随所で見ることができた。圧巻は対スコットランド戦。7-7の同点でむかえた前半25分。捨て身の3連続オフロードパスで繋がれた楕円球は最後、プロップの稲垣選手の胸の中におさまった。そしてトライ、試合を決めた。プロップである彼が最後トライを決めたのも泣かせる。インタビューではプロになってからトライしたのは数回しかないという。実際、日本代表になってから30数試合、1度もトライはしていない。稲垣選手の名誉のために言っておくが、フォワードは仲間がトライするために相手を潰すという重要な役目があり、そういった意味ではノートライは献身の象徴ともいえるらしい。「代表に入って7年間で初めてトライしましたけど、慣れてないので両手でいきました」愚直なインタビューの答えにも泣かせられた。

 

オフロードパスを成功させるためには選手の高い運動能力と技術、そしてなにより仲間のサポートが必要だ。巨漢に猛烈にタックルされたら一瞬気を失うこともあるだろう。バランスを崩し、地面に倒れこむまでの刹那のなか、仲間を見つけ、片手で仲間にボールを託す。受け取る仲間も、ボールを受け取りやすい位置に寄り添っていることが重要であろう。稲垣選手は偶然そこにいたわけではないはずだ。

 

『仲間』辞書にはある物事を一緒になってする者、同じ種類に属するものと書いてある。同じ職場で仕事をする。同じクラスで勉強をする。たしかにそれは仲間であろう。一緒にいる時間が長ければ親しい仲間になった気にもなる。でも上述する「仲間」は同じ意味をもつ言葉としてとらえていいものだろうか?たとえ接点はなくても同じ目標に向かって同じ汗をかきながらがんばる。互いに尊重し合い、たたえ合う。お互い言葉ではない何かに結ばれている。ひとはそれを「絆」と呼ぶのだろう。

 

急性期病院から転院した患者さんは、なんとか助けようと頑張った前医の思いも含めて引き継ぐ。そして自分も「よろしくお願いします」の1行に様々な思いを込めて次の転院先へ紹介状を書く。同じ医師同士、病院は違ってもお互い「絆」を感じながら仕事をしていきたいと思う。新型コロナでコミュニケーションを取りにくい時世であるから猶更である。

 

また新しい1年が始まる。ウイルスとの闘いにまだ終わりは見えないが絶対に負けない。「仲間」と一緒だから。

旭川リハビリテーション病院副院長

2020年度 旭川リハビリテーション病院新入職員の皆様へ

今年度新規ご入職の皆様、遅くなりましたがご入職おめでとうございます。数ある職場のなかから当院をお選びいただきありがとうございます。本来であれば皆様の歓迎会で演奏予定だったStrings Kが皆様にメッセージを添えた1曲をリモート演奏でお届けします。何かと大変な時期ですが一緒に頑張りましょうね! 

こちらから動画をご覧いただけます。

 

Strings K代表 小山聡

 

 

ドクターKの独りごと9.「道」

「私はこれからも生き続けなければならない。生き続ける者はいつでも忙しい。いつでも用事に追われ続けるのだ」小説家・津島佑子の作品に「火の山」がある。戦中戦後の親子3代にわたる生と死を描いた長編小説だ。時代に翻弄され、自らの「道」を生きたとはけっして思えない多くの登場人物たち(この作品には実に多くの人物が登場する)。しかしその誰もが不平不満を言わず、自らの生を必死に歩むのだ。冒頭は主人公の1人である笛子の言葉である。彼女は度重なる不運にあいながらもそう言い放って何度も立ち上がるのだ。生き抜くためには目の前の不運に溺れている場合ではない....と。

 

「神様は私たちに成功して欲しいとは思ってはいない。ただ挑戦することを望んでいる」

マザーテレサは言う。そしてなにかに打ち負かされた時、立ち上がる勇気を持つこと。自らの無知を知り、生きるための知恵と力を身に着けること。今、目の前にあることを受け入れ、前に進むことだけを考える。誰かに批判されることを恐れずに、失敗することを恐れずに、今すべきことを行う。「この世には失敗もなければ偶然もない。すべての出来事は私たちに与えられた恵み、何かを学ぶ機会なのだ」キューブラー=ロス医師の言葉である。

 

人生の「道」は、「今」という瞬間の連続でできているのではないか?切れ目のないレールの上を転がっているのではなく、その瞬間の連続の積み重ねで構成されているようにも思う。その瞬間(点)が連続して、振り返った時に「線」になって見えるだけなのだ(『嫌われる勇気』より)。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る…

高村幸太郎の詩「道程」はそういうことを意味しているのだろう。

 

だから「今」を大事にして生きていこうと思う。「今」の積み重ねが人生の「線」となるのならば、今日が無駄な1日であるはずもない。

 

「人はみな、知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」放送作家・小山薫堂さんのお父様の言葉である。我々はきっと、数々の苦難の「点」を経て、振り返った時に最良の「線」=「道」すなわち「人生」を確認できるのだろう。最良の道を選択したというのは偶然にも良い道に転がったということではなく、選択すべき瞬間に「最善の努力」をした結果なのではないのだろうか。ならば迷うことなく「今」という「点」に全力を勤しんで生きてゆこうと思う。

「この道より我生かす道なし。この道を行く」

武者小路実篤のことばのように。

 

今年は未知のウイルスに翻弄された1年だった。そしてそれはしばらく続くのだろう。しかし意味のない「今」はない。「今」起きていることを受け入れ、「今」自分がすべきことを行いたい。地上の多くの人の努力によって未曾有の事態を必ず克服する道ができることを信じて。共に歩む仲間を信じて。

 

地上に初めから道があるのではない。歩く人が多くなると初めて道が出来る。(魯迅『故郷』より)

 

旭川リハビリテーション病院副院長