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りはぴょん8;検査室

 

 

こんにちは りはぴょんです

 

12月 朝の7時30分

病院の廊下は まだ電気がついてなくて

薄暗い中を ぴょんぴょん歩いていたら

1階の一角から明るい光がもれてました

 

 

近寄ると 部屋の入り口には

「臨床検査室」と 

かかれていました

 

 

そぉっと そぉっと のぞいてみたら

そこには 白衣をきたおねえさんが2人

せっせとせっせと 動き回っていました

 

1分でも早く 

患者さんの採血結果を出して

 

1分でも早く 

患者さんが治療を受けれるように

 

まだ薄暗い 冬の朝にもかかわらず

こうやって がんばっているんだね

1年中   毎日 がんばってるんだね

 

 

わたしも将来 こんな

「素敵♡」な 

おねえさんに なりたいな

 

 

 

ドクターKの独りごと17;ブルックナー

去年はベートーベン生誕250年とのことで大いに盛り上がった.新型コロナがなかったら年末は街中第9のメロデイーで埋もれていたかもしれない.ベートーベン没後の音楽界は、彼が築きあげたものをそのまま引き継ごうとする派閥(ブラームス派)と,それに対抗して斬新的な音楽の可能性を切り開こうとする派閥(ワーグナー派)に分かれた.この後者の1人がブルックナーである.こう書くと彼はさぞかし革新的なイメージをもつが,実際の彼はウイーンでもなければパリでもない,オーストリアの片田舎で学校補助教員の傍ら教会のオルガン演奏で小遣いを稼ぐ人物であった.そして彼は聖書以外の本は読んだことがない人間だったらしい.何をもってワーグナー派と言われていたのかはともかくとして,彼はとても遅咲きの作曲家であった.作曲家としてそれなりに食べれるようになったのは55歳を過ぎてからである.そもそもスタートが遅くて,30の半ばで作曲の勉強を始め,交響曲をはじめて発表したのはなんと39歳である!実際にはその前に1曲作っているが自信がなくて生前には公表されず,現在我々はそれを交響曲第0番として聞くことができる.彼の名が有名になったのは交響曲4番あたりからでなんとそのときは50歳を越えていた!そして7番8番と秀作を作り上げ,9番は最高傑作か!といった矢先にそれは未完成のまま命が果ててしまうのだ.彼の曲は完成してからも納得がいくまで何度も作り直し,同じ作品に複数の異なる版・稿が存在する.彼自身が変更したものもあれば,「ハース」や「ノヴァーク」といった弟子が手を加えたバージョンもあり,しかもそれぞれが全然違っていて,いったいどうなってるんだ?と思ってしまう.それなのにどうしてこんなにもブルックナーの曲に惹かれてしまうのだろうか?これはもう嗜好性の問題といっていいのかも知れないが,例えていうならば,美術館に行って絵画を鑑賞するとしよう.1枚目から見る.これ好きだな....2枚目をみる.うーん...3枚目をみる,これはいいな...そして最後までみたら,再び入口まで戻りあらためて絵をじっくり見る.遠くから見たり近寄ってみたり...そうしているうちに,初めはあまり好きでないと思った絵も好きになってしい,さんたび入口までもどって鑑賞してしまう.繰り返し聞くたびに新しい発見がある...彼の音楽は美術館で絵画や風景を観ている感覚に近い気がする.それも大自然や宇宙そして神といった題材をテーマにした絵画である.

*  *  *

いつも奥様と大喧嘩している患者がいた.毎日のように大声で怒鳴り散らしては奥様を泣かせていた.でも彼女は次の日もまた次の日もお見舞いに来て,そして怒鳴られていた.「毎日来なくてもいいんですよ」との声かけに彼女は静かに微笑んでいるだけだった.来なければいいのに....そう思っていたら奥様は骨折をしてお見舞いに来れなくなった.そんな矢先,なんと患者は急変してあっという間に息を引き取ったのだ.入院先から車いすで駆け付けた奥様は,怒鳴り散らしていた患者のあの声と同じくらいの大きな声で,いつまでも泣いていた.

*  *  *

ブルックナーの葬儀のときに,教会の周囲をウロチョロしている人がいた.彼の生涯のライバルと言われ,喧嘩ばかりしていたブラームスだった.「(教会のなかに)入ったらいいでしょう?」と言われた彼はとってつけたような言い訳をしてその場を立ち去った.そして教会の近くの木陰で嗚咽をこらえながら泣いていたそうだ.そしてその半年後,ブルックナーの後を追うようにブラームスも亡くなった.けなし合っていた2人とだったらしいが,何だかんだお互い支え合っていた関係だったのだろう....この2人,天国でも相変わらずけんかしているのだろうか?  

旭川リハビリテーション病院副院長

リハッピー2;イエローロード

 

リハッピーです

 

病院の 駐車場や 道路には

しらかばの樹木がいっぱいで

それが今 みごとなまでの 黄葉で

あたり一面 黄色!黄色!!黄色!!!

 

 

天気がいいと 青い空とのコントラストが

とってもきれいだよ!

 

 

6階の 窓から 黄の路(みち)みると

空に向かって 一直線 続いてるんだ

黄色い線路が どこまでも!

 

 

汗かいて 一生懸命 リハビリをした 

そのあとに 窓に目をむけるとこの景色

 

「すごいや!」

 

さあ あしたもリハビリ がんばるぞ!

2021年オータム:Strings K

Strings K がはじめての旭川の秋を経験する皆様にお届けします。「オータム旭川」。

すばらしい旭川の秋を写真と音楽で楽しんでください。

 

Strings K đưa bạn đến với tất cả những ai đang trải qua mùa thu đầu tiên ở Asahikawa. “Mùa thu Asahikawa”.

Tận hưởng mùa thu tuyệt vời của Asahikawa với ảnh và nhạc.

 

Strings K brings you to everyone who is experiencing the first autumn in Asahikawa. “Autumn Asahikawa”.

Enjoy the wonderful autumn in Asahikawa with photos and music.

 

 

Strings K代表 小山聡

リハッピー1;非接触体温計

はじめまして リハッピーです

友達のりはぴょんの紹介で

この病院にやってきたんだ

よろしくね!

 

病院のなかには おもしろい機械が

たくさんあるんだね!

たとえば正面玄関前に

カメラに顔をかざすと体温を自動測定

できる体温計があるんだ

外来受診患者さんはもちろん

ご家族や付き添いさんとか

病院のなかに入るみんなに体温を測って

もらっているんだって!

 

 

この機械 人体表面の赤外線熱放射を

検出して光電変換を行い 

AIアルゴリズムにより人体の

体温を算出する(?)らしいよ

よくわかんないけど

「すごいや!」

 

 

ぼくも測ってみたんだけど

測定不能でした(汗)

体温不明なリハッピーってことで

これからもよろしくね!

 

りはぴょん7;病棟から贈りもの

 

入院中のおとうさん

がんばってリハビリやっているのかな….

入院中のおかあさん

今日は熱は出てないのかな….

 

新型コロナ感染で面会規制が続く中

患者さんに会えないご家族のストレスは

はかり知れないものであろうと

お察し致します

 

そんななか とある病棟では

「素敵」なことをしていました

 

毎月の入院費請求書内に

患者さんの写真を数枚

看護師が書いた直筆のエピソードを添え

ご家族のもとへ 郵送しているそうです

 

 

手にした写真でご家族が 

心が安らぐことを願いながら

写真を入れた封筒に封をします

 

看護師たちが 試行錯誤しながら撮影し

プリントした 多くのお手製写真たち….

気がついたらこの活動 かれこれ 

1年も続いているとのことです

 

 

多くの規制や制約のなかで

小さなことかもしれないけれど

患者さんやその家族のために

今 私たちができることを おこなう….

 

病棟のみなさん 「素敵♡」な取り組み 

どうもありがとう

 

りはぴょん6;みんなで看護を語ってみよう会 

 

まいにちまいにち

身も心も粉にして働く看護師さん

どうして 看護師に?

どうして なりたいと思ったの?

 

 

当院のある病棟では「個人の看護観」

「看護実践」を共有して 

お互いの「相互理解」を

ふかめることを目標に

定期的に 自分の経験や看護観を

語る会を おこなってるそうです.

 

はじめのうちは みんな集まって

本当に 語っていたらしんだけど

新型コロナがはやってからは

紙にして 病棟の みんなに

読んでもらってるんだって!

 

 

読んだら ひとりひとり それぞれ

感想をかいて本人にわたすそうです

 

前看護師長のアイデイアではじまった

「看護を語ってみようかい(会)」

 

今でも こうして 続いています!

 

 

 

みんなからもらった 何枚もの感想用紙

一生のたからものだよね!

 

「素敵♡」な会を継続している

病棟のみなさん どうもありがとう

 

 

ドクターKの独りごと16.「謹厳実直」野茂英雄

アメリカメジャーリーグで、打者と投手の「二刀流」で大活躍の大谷選手が新聞をにぎわしている。屈託のないその笑顔をみるたびに、私は今から20年以上も前にメジャーリーグで活躍した彼を思いだす。

 

1995年7月11日、アメリカ・テキサス州アーリントン球場で開催されたメジャーリーグオールスターゲーム。先発マウンドには野茂英雄が立っていた。日本人初の快挙である。彼は...けっして笑顔でメジャーリーグに挑戦したわけではない。日本プロ野球界から追い出されるように太平洋を渡らざるを得なかった。そして近鉄時代の年俸の実に1/10以下の契約で彼はアメリカの土を踏むことになったのだ。

 

「ドクターK」。スコアブックに三振(K)のマークがあまりにも並ぶため、彼は好意を込めて皆からそう呼ばれた。ロサンジェルス・ドジャースでメジャーデビューすると、その非凡な才能はすぐに頭角を現した。脱三振の山。「日本人がメジャーで通用するわけがない」と言われていた時代にである。そしてその年の7月にオールスター先発。2イニング1安打無失点3三振に抑えた25球。1年前の日本人の誰が想像したであろうか?

 

圧巻はメジャーリーグ屈指のホームランバッター、トーマスとの勝負。全球直球勝負の1ボール2ストライク。そして4球目、おそらくキャッチャーはフォークを要求したのだろう。そのサインになんと首を振る!そして投げた球は…内角高め渾身の直球!トーマスの唸るようなフルスイング。「カーーン!」…打った球はどこまでも高く上がったキャッチャーフライ…トーマスのバットが野茂の投げた球に差し込まれたかのように見えたのは錯覚だろうか?それにしても、あのトーマスに全球ストレートの真向勝負とは!当時のこの動画、何度見ても感動の涙を禁じ得ない。

 

アメリカに渡る時の記者会見で英語は大丈夫かと質問された時、野茂はこう言った

 

「僕は英語を話すのに行くのではなくて野球をしに行くのです」

 

アメリカから帰ってきたときの記者会見でストライクゾーンは大丈夫だったかと質問された時、野茂はこう言った

 

「僕が戦ってきたのは打者であって審判ではありません」

 

自分の力を信じて貫く実直な生き方は、ある意味不器用なのかもしれない。しかしそんな彼の生き方に誰が異議を唱えようか?

    *     *     *

 

昔、脳卒中で右手が動かなくなった若い女性がいた。何か月リハビリしても右腕はピクリともしない。『ちょっと難しいかな…』そう思いかけたとき、ようやく筋の収縮が認められはじめた。かと思うと、あれよあれよと良くなっていくではないか!彼女の目標は長い髪を後ろでお団子にまとめること。それが実現した時、我々医療スタッフは手をたたいて喜んだ。でも彼女はにこりともせずこう言った「これは違う。(髪の)お団子は頭のてっぺんでつくれないとだめだ!」…それからまもなく彼女は本当にそれを実現してしまったのだ!ミラーイメージのトレーニングを提案し,段ボールで手作りしてくれたリハビリセラピストにも脱帽した。リハビリセラピストも諦めていなかったのだ!

 

これを機に私は,患者の様々な可能性に対して「無理」という言葉は使うまいと決めた。患者と共にその可能性を信じ、どうしたらそれをもっと引き出すことができるか?ということだけを考えようと決めた。

    *    *    *

それにしてもこの年のMLBオールスターのメンバー。マルティネス、トーマス、リプケン、ロドリゲス、ボンズ、ランディジョンソン…そして野茂。プレステのドリームチームか?とつっこみたくなるような選手ばかりだ。カメラの前ではあまり笑わない野茂なのだが、グランドで皆とハイタッチする少年のような笑顔が忘れられない(そりゃ楽しいだろう)。(敬称略)

旭川リハビリテーション病院副院長

りはぴょん5;看護助手さんの絵

 

こんにちは りはぴょんです

 

とある病棟を歩いていたら,廊下に

「素敵♡」な絵を見つけました

外国から来た看護助手さんが書いた

んだって!

 

 

あかいとまとの髪飾り

大のお気に入りな こねこちゃん 

 

 

 

輝く光を浴びながら 

真夏 まぶしい 花娘

 

 

 

朱色のなか

寝床に帰る からすたち

今日も 一日 がんばったね 

また明日

 

看護助手さん「素敵♡」な絵

どうもありがとう!

 

「烈夏」旭川2021

Strings K がはじめての旭川の夏を経験する皆様にお届けします。「烈夏」旭川。

すばらしい旭川の夏を写真と音楽で楽しんでください。

Chúng tôi sẽ mang đến cho tất cả những ai lần đầu tiên trải nghiệm mùa hè ở Asahikawa. “Rekka” Asahikawa.

Tận hưởng mùa hè tuyệt vời của Asahikawa.

ここからごらんいただけます。  

Strings K 代表 小山聡

りはぴょん4;たなばたまつり

 

ささのは さらさら~♪

 

こんにちは りはぴょんです       

8月7日は北海道の七夕です

 

当院病棟にもたくさんの短冊が

患者さん みんなの 思いをこめて

色とりどりに 飾られています

 

 

 

 

五色(ごしき)の短冊

わたしが  書いた

おほしさま きらきら

そらから  みてる

 

そらから願いをみているのは

はた織りが得意な織姫様らしいよ

でも それを実現するのは自分

 

夢にむかって努力する自分を

お空のうえからみていてください

っていう意味らしいよ

 

かざりを準備してくださった

病棟スタッフの

「素敵♡」なみなさん

どうもありがとう

 

りはぴょん3;ラベンダーロード

 

こんにちは りはぴょんです       

 

当院前の歩道には今,
ラベンダーがきれいに咲いています

 

すごくいい匂いがして
こころがやすまります

緊張や不安で眠れない患者さんも
これなら大丈夫(^_^)

 

 

 

ところでこのお花畑
だれがきれいにしてるんだろう?

どなたかはわからないけれど
病院前のお花畑をお手入れしてくれる


「素敵♡」なみなさん 

どうもありがとう!

 

 

りはぴょん2;新型コロナワクチン

 

 

こんにちは りはぴょんです       

 

 

当院にも毎日たくさんのひとが

ワクチンをうちに 病院に訪れます

 

さぞかし外来待合室はごった返し(◎_◎;)

 

と思ったら...

 

意外にも混んでいなくて

みなさん  スムーズに接種して

にこやかに 帰っています

 

 

医師や看護師はもちろんだけれど

 

みなさんを受付する当院の事務職員や

誘導するボランテイアのみんなが

笑顔で 一生懸命

はたらいてくれているからです

 

 

電話対応とか

ワクチン注射の準備など 

 

みえないところで

はたらいている職員もいます

 

「素敵♡」なみなさん 

どうもありがとう

 

 

 

ちなみに

注射はここにうちます

 

 

写真を参考に みなさん

注射しやすい服装できてくださいね!

 

りはぴょん1;こいのぼり

 

こんにちは りはぴょんです       

 

とある病棟を歩いていたら 廊下で

「素敵♡」なこいのぼりを見つけました

病棟の看護師さんが 患者さんと一緒に

つくったんだって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鯉って 生命力があって

たくましくて 丈夫で

きれいな川以外でも

とっても力強く生きるらしいよ

 

そういわれてみると

こいのぼりってみんな

風に向かって泳いでるもんね

 

病棟のみなさん 「素敵♡」な作品 

どうもありがとう

 

 

新型コロナ感染のお詫び

2021年5月7日に当院で発生した新型コロナウイルス感染は,最終発生日より3週間経過したことにより2021年6月8日から発生病棟での入院加療を通常状態へと復帰することができました。

 

多くの方々にたいへんご迷惑おかけしたことを心より陳謝申し上げます。なにより、十分な医療を提供できなかった患者さんには申し訳なくて筆舌に尽くしがたく、更には患者さんご家族の心情を思うと言葉もありません。

 

当院の基本哲学は「患者さんが、まんなかの医療」です。でも、いざそのときがきたら至らぬ点も多々あったかと存じます。

 

私達は患者さんの心を自分の事のように思いやり、強い信頼感で結ばれた病院になるよう

これからも誠心誠意努力いたす所存です。

 

お詫びかたがた上記のご報告を申し上げます。

 

旭川リハビリテーション病院副院長  小山 聡  

StringsKより、2021年度旭川リハビリテーション病院新入職員の皆さまへ

新入職員の皆さま、ご入職おめでとうございます。本来であれば皆様の歓迎会で演奏予定だったこの曲を、Strings Kが皆様にメッセージを添えてリモート演奏でお届けします。

こちらから動画をご覧いただけます。

 

Strings K(ストリングス ケー)は、旭川市で活動する吹奏楽団です。2013年に旭川リハビリテーション病院 小山医師が、職員と3名でクリスマスの演奏をしたのが始まりで、少しずつ人数と活動を拡大してきました。病院のグループ系列である進藤病院、旭川リハビリテーション病院、あさひ園、太陽園に在職中の方なら、どなたでも参加できる団体です。現在は小山医師を中心に15名ほどで活動しています(2018年現在)。バンド名は「K」(小山医師)の糸(Strings)が系列4施設を繋ぐという意味を込めて、旭川リハビリテーション病院 進藤順哉先生が命名しました(Strings K;YouTubeより)。

2021年度旭川リハビリテーション病院新入職員の皆さまへ

新入職員の皆さま、ご入職おめでとうございます。数ある職場のなかから当院をお選びいただきありがとうございます。今年度も30名を超える職員が仲間に加わりました。皆さまと一緒に働けることを、我々は心から嬉しく思っています。「患者さんがまん中の医療」を目指して一緒に頑張りましょうね!皆さまが立派な社会人として成長していくことを期待しています。そのためには、

  いつでも聞いてください

  どこでも相談をしてください

  何度でも質問してください 

そして一番大事なことですが...

  くれぐれも心身の健康に気をつけて 

  ください

 

これからずっとみなさんと一緒に働けるように我々も努力します。どうぞよろしくお願いいたします。

 

  May the Rehabili be with you!  

 

旭川リハビリテーション病院副院長 

            小山 聡

 

追記)2021年4月以前に新規ご入職された皆さまにも重ねてお礼申し上げます。

ドクターKの独りごと15. 「あかとんぼ」という名のとんぼはいない

「赤とんぼ」シリーズ連続してしまいましたがこれで最後です。「赤とんぼ」について調べていくと更にもう1つ驚くべきことがわかった。「あかとんぼ」という名のトンボはいないのだ。では我々が秋の日によく見る赤い色をしたトンボはなんなのか?調べてみるとトンボ科アカネ属、その中でもアキアカネという種であるらしい。また、赤ではないがオレンジ色をしたウスバキトンボ(トンボ科ウスバキトンボ属)も「あかとんぼ」と呼ばれることが多いらしい。西日本ではうすばきとんぼが多い一方で東日本はアキアカネが多いことから、三木露風が「あかとんぼ」を作詞した北海道で実際に見たあかとんぼはアキアカネで、幼少時代にみたあかとんぼはウスバキトンボである可能性が高い。

 

ウスバキトンボは世界中の熱帯・温帯地域に広く分布し、日本のほとんどの地域では、毎年春から秋にかけて飛んでいるが、冬には姿を消すようだ。お盆の頃に成虫がたくさん発生することから「精霊とんぼ」とか「盆とんぼ」などと呼ばれる。卵は数日のうちに孵化し、すぐに脱皮して幼虫となる。幼虫は急速に成長し、1か月ほどで羽化して空に飛び立つ。ウスバキトンボはまず東南アジアや中国大陸で発生し、数回の世代交代を繰り返しながら、日本を北上する。南西諸島や九州、四国では4月中旬に飛び始め、本州南部では5〜6月、中部山岳地帯や東北地方では7〜8月、そして北海道では9月と徐々に北上する。しかし寒くなると死滅してしまう。生物が生きる条件が悪くなった時、条件の良いところに移動しないでそのまま死滅する場合、死滅回遊(しめつかいゆう)あるいは無効分散という。春の終わりに大陸から日本に渡ってきたウスバキトンボの子孫は、ついには全滅してしまう。大陸から日本を目指すウスバキトンボの一族にとっては、まさに片道切符の行軍なのだ。いくつもの世代交代をしてまで彼らはなぜ北海道に来るのだろうか?どうしてこんな無謀な侵攻を繰り返しているのか。何がトンボたちを決死の旅に駆り立てるのか。すべては謎である。(稲垣 栄洋,生き物の死にざま はかない命の物語,草思社,2020)

*  *  *

「あとは若い人に任せてご勇退なさっては?」70歳を過ぎても現役で会社を切り盛りし、誰よりも働いている患者さんがいた。「みんなにそう言われるなあ。でも、まだまだよ。倒れるまで働くわ」豪快に笑いながら「じゃ、また来月たのむよ」といって診察室をでたのが最後だった。脳出血でバッタリと倒れ、急性期病院で手術をしていただき、一命は取り留めたものの全くの意識がない状態で当院に転院となった。名前を呼んでも体を揺さぶってもうんともすんとも返事はない。「全身管理をしながらリハビリを続けて、少しでも良くなるよう最善を尽くします」。転院時にはじめてお会いしたご家族にそうは話してみたものの、患者さんはその後まもなく肺炎をこじらせてあっという間に亡くなってしまった。お見送りの時御奥様から「もっと早くに仕事をやめさせていればこんなことにならなかったのでしょうか?」と聞かれた。「ご主人はご主人の生を120%生き抜いたと思います」そんなことを答えたように思う。そしてそのとき気がついた。私は彼の生き方を全く理解していなかった、と。「生涯現役」という自己実現の目標に対して私は彼にいったい何をしてあげたのだろうか?そしてあのとき、どうして本人に「いつまでも元気で働けるように体調管理をしっかりとされてください」と言えなかったのだろうか?…. 「もう引退したら?」と言ってしまったことを今でも悔やんでいる。

 

旭川リハビリテーション病院副院長

ドクターKの独りごと14.「赤とんぼ」の母

「赤とんぼ」について調べていくと驚くべきことがわかった。作詞の三木露風が幼少のとき離婚により生き別れとなった母「碧川かた(みどりかわかた)」さんのことである。

かたさんは離婚後、三木露風を祖父母に預け、露風の弟である乳飲み子を引き取り育てながら学校に通い、東京帝国大学病院の看護婦(師)となっている。彼女の人生はそこで終わらない。その後彼女は、日本初の婦人団体である新婦人協会に属し、女性の社会的自立や政治・社会への男女共同参画、婦人参政権運動などさまざまな女性解放運動に挺身したのだ。また、「足尾鉱毒事件」の救済活動や「米よこせ運動」「廃娼運動」「禁酒運動」「狂犬病撲滅運動」等多方面にわたって身を投じた。また、三木家とは家族ぐるみの付き合いをおこない、「かた」の実子の長男にあたる三木露風は碧川家からも尊重されていたようだ。実際、彼女の墓票には『赤とんぼの母 此処に眠る』と三木露風の染筆によって記されている。

 

明治・大正・昭和と3つの時代を奔走し、関東大震災、東京大空襲を生き抜き、戦前という世の中で女性解放や男女平等や命の重み,家族の大切さを説いた彼女の行動力。1962年に93歳(90歳との説もある)で永眠するまで時代に翻弄されることなく自らの「生」を生き抜いた彼女の生き方。ある意味凄みさえ感じる。

 

「山に野にしもべとなりて詩歌つくり あれし日本の人に尽くせよ」

 

詩人となった息子を励ます母「かた」が露風に送った手紙の一文である。くれぐれも健康に注意してとか、無理をしないで少しは体を休めなさい...ではない。日本を良くするために(仕事である歌をつくって)身を粉にして働きなさい!といったところだろうか…

 

あっぱれとしかいいようがない。

*  *  *

年老いた夫が助からない病気となって入院したとき「じいさんは若いころ好き勝手やって楽しんだんだ。しょうがないのさ!」嫌だ嫌だという夫に対して大声でそう言い放った奥様。しかしそうは言いながらも毎日病院に通っては朝食を介助し、昼は夫の傍で手弁当を食し、「じいさんはわがままだから看護婦さんの迷惑になったら申し訳ない」と、夕食の介助をしてから消灯前まであれこれと世話をしてから帰路についた。歯磨きから下の世話まで手伝い、苦しいと弱音を吐く夫をしかりつけながら、背中をさすったりしていた。やることがないときはベッドのわきに硬い丸椅子を置いて過ごしていた。腰を悪くするからと勧めたクッション付き背もたれ椅子には「申し訳ないから....」と1度も座ることはなかった。そんな日々がいつまでも続くのかと思っていた矢先、ご主人は2回目の正月を病院で迎える直前に亡くなった。ご臨終のときも表情を崩すことなく、気丈にも「ありがとうございました」と深々と頭を下げていた。そして最後、病院を出るときにはじめて人前で見せた大粒の涙…

 

あっぱれとしかいいようがない。

 

旭川リハビリテーション病院副院長

 

ドクターKの独りごと13.「赤とんぼ」三木露風

ゆうやけ こやけの あかとんぼ

おわれてみたのは いつのひか…

 

誰もが1度は歌ったことがあるであろう「あかとんぼ」。

 

この歌には、我々の心の奥深くを震わせる感動がある。生まれ故郷への慕情。親のぬくもり。愛する人との別れ。人それぞれ思いは違っても湧きおこる感情は同じであろう。

 

「赤とんぼ」の歌詞は三木露風(みき ろふう 1889-1964)という兵庫県出身の詩人が書いたもので、彼が北海道函館市の西に隣接する北斗市トラピスト修道院に講師として赴任していたときに詠った詩である。詞の主人公は三木露風自身で、トラピスト修道院で幼い頃を思い出して書いたものであることが自筆のメモに記されている。幼いころに実母と生き別れとなった露風は子守り奉公の姐やに育てられてた。夕日の中、竿の先に佇む赤とんぼをみて、露風は姐やに背負われながらみた赤とんぼの記憶とオーバーラップしたのだろう。

 

十五で姐(ねえ)やは嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた

 

お嫁に行った姐やのことは自然と話題にならなくなり、大人たちはみんな忘れてしまっている。でも「私」はふと想い出してはたまらなく懐かしい気持ちになる。姐やは今どうしているのだろうか....姐やに対する思慕の情。姐やがいなくなった後、再び孤独となった嘆きの心情を竿の先にとまっている1匹の赤とんぼに重ねて詠ったのであろうことが推測される(家森長治郎,奈良教育大国文,5,4-11,1981)。幼くして生き別れとなった母親に対する露風の母恋、一緒に桑の実を摘んだやさしい姐やへの思慕は、1匹の赤とんぼに二重写しとなっている。

 

   *    *    *

 

全身状態が悪く、意識が朦朧とする中で繰り返し「おかあさん…」と呼び続けている高齢の患者さんがいた。彼のまぶたの裏に浮かぶおかあさんは一体だれを指すのだろう?大正生まれのその彼は、私が想像もつかないような幼少時代を過ごしてきたに違いない。布団の中でそっとその手を握ってみた。そしたらまもなく静かになって眠ってしまった。

 

赤とんぼ とまっているよ 竿の先

 

とんぼは変温動物で、秋の夕暮れでは飛び立つ前に日光を十分浴びて体温を上げるそうだ。そのため横腹と日光の角度を調節しやすい「先っぽ」にとまる必要があるとのこと。太陽の光を「明日に飛び立つ糧」にするのはとんぼも我々も同じである。

 

旭川リハビリテーション病院副院長