1. ホーム
  2. ブログ

ブログ

2020年度 旭川リハビリテーション病院新入職員の皆様へ

今年度新規ご入職の皆様、遅くなりましたがご入職おめでとうございます。数ある職場のなかから当院をお選びいただきありがとうございます。本来であれば皆様の歓迎会で演奏予定だったStrings Kが皆様にメッセージを添えた1曲をリモート演奏でお届けします。何かと大変な時期ですが一緒に頑張りましょうね! 

こちらから動画をご覧いただけます。

 

Strings K代表 小山聡

 

Strings K(ストリングス ケー)は、旭川市で活動する吹奏楽団です。2013年に旭川リハビリテーション病院 小山医師が、職員と3名でクリスマスの演奏をしたのが始まりで、少しずつ人数と活動を拡大してきました。病院のグループ系列である進藤病院、旭川リハビリテーション病院、あさひ園、太陽園に在職中の方なら、どなたでも参加できる団体です。現在は小山医師を中心に15名ほどで活動しています(2018年現在)。バンド名は「K」(小山医師)の糸(Strings)が系列4施設を繋ぐという意味を込めて、旭川リハビリテーション病院 進藤順哉先生が命名しました(Strings K;YouTubeより)。

 

ドクターKの独りごと9.「道」

「私はこれからも生き続けなければならない。生き続ける者はいつでも忙しい。いつでも用事に追われ続けるのだ」小説家・津島佑子の作品に「火の山」がある。戦中戦後の親子3代にわたる生と死を描いた長編小説だ。時代に翻弄され、自らの「道」を生きたとはけっして思えない多くの登場人物たち(この作品には実に多くの人物が登場する)。しかしその誰もが不平不満を言わず、自らの生を必死に歩むのだ。冒頭は主人公の1人である笛子の言葉である。彼女は度重なる不運にあいながらもそう言い放って何度も立ち上がるのだ。生き抜くためには目の前の不運に溺れている場合ではない....と。

 

「神様は私たちに成功して欲しいとは思ってはいない。ただ挑戦することを望んでいる」

マザーテレサは言う。そしてなにかに打ち負かされた時、立ち上がる勇気を持つこと。自らの無知を知り、生きるための知恵と力を身に着けること。今、目の前にあることを受け入れ、前に進むことだけを考える。誰かに批判されることを恐れずに、失敗することを恐れずに、今すべきことを行う。「この世には失敗もなければ偶然もない。すべての出来事は私たちに与えられた恵み、何かを学ぶ機会なのだ」キューブラー=ロス医師の言葉である。

 

人生の「道」は、「今」という瞬間の連続でできているのではないか?切れ目のないレールの上を転がっているのではなく、その瞬間の連続の積み重ねで構成されているようにも思う。その瞬間(点)が連続して、振り返った時に「線」になって見えるだけなのだ(『嫌われる勇気』より)。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る…

高村幸太郎の詩「道程」はそういうことを意味しているのだろう。

 

だから「今」を大事にして生きていこうと思う。「今」の積み重ねが人生の「線」となるのならば、今日が無駄な1日であるはずもない。

 

「人はみな、知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」放送作家・小山薫堂さんのお父様の言葉である。我々はきっと、数々の苦難の「点」を経て、振り返った時に最良の「線」=「道」すなわち「人生」を確認できるのだろう。最良の道を選択したというのは偶然にも良い道に転がったということではなく、選択すべき瞬間に「最善の努力」をした結果なのではないのだろうか。ならば迷うことなく「今」という「点」に全力を勤しんで生きてゆこうと思う。

「この道より我生かす道なし。この道を行く」

武者小路実篤のことばのように。

 

今年は未知のウイルスに翻弄された1年だった。そしてそれはしばらく続くのだろう。しかし意味のない「今」はない。「今」起きていることを受け入れ、「今」自分がすべきことを行いたい。地上の多くの人の努力によって未曾有の事態を必ず克服する道ができることを信じて。共に歩む仲間を信じて。

 

地上に初めから道があるのではない。歩く人が多くなると初めて道が出来る。(魯迅『故郷』より)

 

旭川リハビリテーション病院副院長

ドクターKの独りごと8.「七つの子」

先日、東京都の小池知事が「5つの小(こ)」と記したボードを掲げて注意点を喚起していた。会食時における新型コロナウイルス感染防止策の新たな呼びかけである。彼女はこういったスローガンを掲げるのが得意だな…なんて思いながら私は野口雨情作詞の「7つの子(こ)」のことを考えていた。

 

からす なぜ啼くの からすは やまに かわいい7つの子があるからよ…

 

私はこの歌を聴くと思うことがある。夕暮れ時の烏の鳴き声はなぜこんなにも切ないのか?そもそもこの詩に出てくるからすとは烏のことなのか?7つの子とは7羽の赤ちゃんのことなのか?そして、まあるい目をしたいい子とは…一体誰のことなのか?

 

これはあくまでも私の印象でしかないのだが....

「からす」は「かあさん」。「啼く」は「泣く」。「7つの子」は「7歳もしくは幼子」。「山の古巣」は「山の故郷(ふるさと)」。「かわいい目をしたいい子」は「野口雨情」本人のことではないだろうか?

 

諸事情により故郷においてきた我が子に会いたくて、でも会えなくて…せつなさのあまり泣いている母…そういう詩に聞こえるのだ。実際にはどうなのであろうか?野口雨情の経歴を調べてみると母親は彼が29歳のときに亡くなっている。しかし幼少時代、どのような生活だったのか詳細はわからなかった。細かな事実はともかくとして、私はこの詩を「離れ離れになってしまった我が幼子を思う母親の心情の詩」のように思う。あるいは、もしかしたら…更に飛躍した推測なのだが...自分は母親に見捨てられたのではない、理由があって離れ離れになったに違いない。母は自分のことを愛しく思ってくれているに違いないと、「離れた母を慕う子供の心情を詠った詩」のようにも聞こえる。なぜなら、最後の歌詞が、山の古巣へ行ってみててごらん かわいい目をした いい子だよ だからだ。海辺の街に引っ越したおかあ、山奥の古里にいる僕に会いに行ってみてください ぼくはかわいい目をしたいい子に育ってます!という解釈はどうだろうか?そう考えると、烏の鳴き声が「ぉかあ!ぉかあ!」と母を呼ぶ幼子(野口雨情?)の鳴き声(泣き声)にも聞こえてしまう。そして更には…「おかあ」とはいわゆる「母」のことなのか?もっと別な、例えば…どんな自分であろうともいつでも包容し慈しんでくれる「母性愛」のたとえではないだろうか?何かに苦しむ自分が母なる何者かに、神様・仏様・ご先祖様「こんな私をどうか祓い給え、守り給え…」と祈りを捧げている詩ではなかろうか?そして古巣とは単純に自分が生まれた古里ではなく… 想像するとキリがない。

*   *    *

病棟に、夜中に大声で泣き叫ぶ認知症の患者さんがいた。家に帰ると訴えているのだ。帰れるはずがない。彼女は脳卒中になって歩けないからだ。しかし、彼女は帰らなければならない。なぜなら家にはおなかをすかせた小さな子供たちが待っているからだ。彼女は、「子供たちを育てるために必死に生きてきたあの日」に帰らなければならないのだ。

 

朝、出勤前のゴミステーション。烏がゴミ袋をつついてちらかしていたことがあった。お前はお前で子育てに必死なのかい?…私は黙ってゴミを集めた。電信柱の上でそれを見ていた烏と目が合った。優しい目をしていた。

                             旭川リハビリテーション病院副院長