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ドクターKの独りごと11.「闘魂の涙」星野仙一

すごい試合だったらしい。残念ながらリアルタイムで見ることはできなかった。2013年11月3日。東北楽天ゴールデンイーグルス対読売ジャイアンツの日本シリーズ第7戦。

 

24勝無敗でシーズンを終えた楽天のエース田中。多くの道産子はマー君の大ファンだ。だから日ハム戦でマー君が登板の時にはどちらを応援したらよいのか困る。そんな我らのマー君は前日の日本シリーズ第6戦、渾身の160球完投ながらも巨人に負け、シーズン初黒星がついた。3勝3敗で今日が日本シリーズ天王山という11月3日。3対0楽天リードで迎えた9回。この回を抑えれば楽天初の日本一という大場面。星野監督は選手交代を告げた。「ピッチャー田中」。闘魂星野の顔が綻んだ。悲鳴にも似た場内の歓声。気を利かせたのだろう....実況は無言の30秒。観客席から鳴り響く大合唱「あと1つ」。

 

先頭打者は村田。3球目をセンター前に持っていくとロペスはライト前にヒット。巨人も最後まで必死に戦いぬいてくる。打者2人を抑えて2アウト3塁1塁。この年のオフにポスティングでのメジャー移籍を宣言していた田中。日本での雄姿はこれが最後なのか…あと1つ!勝利の瞬間まで厳しい表情を崩さなかった田中とは反対に、柔らかい眼差しの闘将星野は、だんだん涙をこらえた表情に変わっていった。最後の打者をアウトにした田中。感極まって泣きじゃくる楽天の選手。場内の大歓声。しかしそれとは対照的にマー君は、なんというか、妙に落ち着いた、柔らかくて、清々しい表情だった。そう…夏の甲子園決勝で負けが決まった、あの瞬間(とき)と同じように。

 

「前日に160球を投げた投手を次の日にも投げさせるのか?」試合のあと様々な意見が飛び交った。科学的には無茶な話らしい。でも忘れてはいないだろうか?マー君が夏の甲子園で連投に連投を重ねて投げぬいたことを。田中だけではない。甲子園で活躍する投手はきっと科学や常識ではひとくくりにできない何かをもっているのだろう。幼少から一貫して投手であった星野監督。俺以上の闘魂投手はいない。でもマー君に出会って認めたのではないか?こいつは俺を超えたはじめての人間だ、と。

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医学は科学だ。膨大な臨床データや調査結果、すなわち科学的根拠をもとに診療を進めていく。決して個人的な経験や感覚に頼って治療をしているわけではない。しかし、医療現場ではそうした根拠が覆されることがある。絶対に無理だろうと考えていた病態が良くなることもある。ひとは「ひと」としてけっしてひとくくりにはできない。エビデンス(科学的根拠)通りにいかないことも当然ある。ひとは、過去のデータに則って生きているのではない。目の前の患者の未来を決めるのは過去のデータではなく紛れもない、患者自身だ。

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星野は「監督に逆らえる選手がいないのがさびしい。選手交代された時に『大丈夫です。まだやれます』という気迫がある選手が欲しい」と語ったことがあるそうだ。マー君はこの試合、自ら志願したのだろうか?それとも監督に行けと言われたのだろうか?そんなことはどうでもいい…マウンドに立った田中の闘魂は十分すぎるほど星野監督に、そしてカメラの向こうの我々にも伝わったのだから。(敬称略)

旭川リハビリテーション病院副院長 

ドクターKの独りごと10. 「オフロードパス」

タックルされながら味方にボールを託すラグビーのプレーをオフロードパスというらしい。投げた球が相手にとられる危険が高いため、これまでの日本ラグビー界ではあまりプレーされていなかったようだ。2019年秋、悲願のワールドカップ8強入りを決め、日本ラグビーの歴史を変えたチームジャパン。その試合でオフロードパスは随所で見ることができた。圧巻は対スコットランド戦。7-7の同点でむかえた前半25分。捨て身の3連続オフロードパスで繋がれた楕円球は最後、プロップの稲垣選手の胸の中におさまった。そしてトライ、試合を決めた。プロップである彼が最後トライを決めたのも泣かせる。インタビューではプロになってからトライしたのは数回しかないという。実際、日本代表になってから30数試合、1度もトライはしていない。稲垣選手の名誉のために言っておくが、フォワードは仲間がトライするために相手を潰すという重要な役目があり、そういった意味ではノートライは献身の象徴ともいえるらしい。「代表に入って7年間で初めてトライしましたけど、慣れてないので両手でいきました」愚直なインタビューの答えにも泣かせられた。

 

オフロードパスを成功させるためには選手の高い運動能力と技術、そしてなにより仲間のサポートが必要だ。巨漢に猛烈にタックルされたら一瞬気を失うこともあるだろう。バランスを崩し、地面に倒れこむまでの刹那のなか、仲間を見つけ、片手で仲間にボールを託す。受け取る仲間も、ボールを受け取りやすい位置に寄り添っていることが重要であろう。稲垣選手は偶然そこにいたわけではないはずだ。

 

『仲間』辞書にはある物事を一緒になってする者、同じ種類に属するものと書いてある。同じ職場で仕事をする。同じクラスで勉強をする。たしかにそれは仲間であろう。一緒にいる時間が長ければ親しい仲間になった気にもなる。でも上述する「仲間」は同じ意味をもつ言葉としてとらえていいものだろうか?たとえ接点はなくても同じ目標に向かって同じ汗をかきながらがんばる。互いに尊重し合い、たたえ合う。お互い言葉ではない何かに結ばれている。ひとはそれを「絆」と呼ぶのだろう。

 

急性期病院から転院した患者さんは、なんとか助けようと頑張った前医の思いも含めて引き継ぐ。そして自分も「よろしくお願いします」の1行に様々な思いを込めて次の転院先へ紹介状を書く。同じ医師同士、病院は違ってもお互い「絆」を感じながら仕事をしていきたいと思う。新型コロナでコミュニケーションを取りにくい時世であるから猶更である。

 

また新しい1年が始まる。ウイルスとの闘いにまだ終わりは見えないが絶対に負けない。「仲間」と一緒だから。

旭川リハビリテーション病院副院長