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ドクターKの独りごと18;絶好調男

 

 「中畑です」

1989年のペナントレース最終戦。勝ってリーグ優勝した直後の読売ジャイアンツ、藤田監督のインタビュー。アナウンサーの「優勝の立役者、MVPは誰ですか?」の質問に対してである。取り囲んだ報道陣もスタンドの観客も一瞬ぽかんと静まり返る。「え?中畑?今、中畑って言ったよね?!」11試合連続完投勝利のプロ野球記録を含め20勝を挙げた斎藤雅樹投手、9年連続20本塁打以上のプロ野球新記録を達成した原辰徳、4割超の打率を維持し最終的に3割7分8厘で終えた首位打者クロマテイではない。開幕後まもなく負傷して、その年16試合しか先発出場していない中畑を優勝した立役者と言いきったのだ。「彼に男を見ました」藤田監督は続けてそう言った。参考文献:川手洋一,はるかなる人たち(2021)文芸社

 

 その年35歳、引退もささやかれていた中畑は、控えとして1軍にはいたのだが…なんと毎試合ベンチの真ん中最前列で大声を出し、試合に出ているレギュラー選手を激励し続けていたのだ。「ベテラン」が先発から外れるといじけてしまうのが人の本性であろう。中畑だって自分の代わりに若者がグランドに出ているのを観るのは正直辛かったはずだ。しかし彼の行動は違った。自ら10人目の野手として毎試合全力でグランドの9人と共に戦っていたのだ。中畑はその代名詞が「絶好調男」と言われるように、何を聞かれても「絶好調です!」と答える人物であった。単にお調子者でそう答えていたわけではない。長嶋監督から「調子はどうだ?」と尋ねられたとき「まあまあです」と返事をしたところ、土井コーチから叱られ、それ以来何を聞かれても「絶好調!」と答えるようになったそうだ。自らを、そしてチームを奮い立たせるため、苦しい時も辛い時もいつも彼は「絶好調です!」と答えていたのだ。中畑は、野球は集団スポーツであり「全員の気持ちが一つにならないとそのチームは機能しない」というポリシーを持っていたそうだ。中畑がベンチの最前列で声を出していなくても巨人はリーグ優勝できたかも知れない。しかし中畑の声がなかったらチームの心は1つにまとまらなかったであろう。グランドであろうとベンチであろうと常に「絶好調!」だった男を、球界が放っておくはずがない。後に彼は横浜DeNAベイスターズの監督を務めることになる。

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会社で働くということも集団スポーツに通じる面がある。1人のスーパーセールスマンがいても会社は成立しないからだ。全員の気持ちが一つにならないと会社は機能しない。「チームの心を1つにする」ためには、上司が安全なところに立って紙に書いた文章を配るだけでは部下には伝わらない。仲間と一緒に笑い、時には怒り、そして共に泣くことのできるベテラン部下が上手にその間に入ってこそ、命令系の伝達はスムーズに行われる。故障で試合に出られなくなった、あの絶好調男のように…たとえ主戦力になれなくても、中畑の存在はチームにとって必要だったのだ。(敬称略)旭川リハビリテーション病院副院長