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ドクターKの独りごと8.「七つの子」

先日、東京都の小池知事が「5つの小(こ)」と記したボードを掲げて注意点を喚起していた。会食時における新型コロナウイルス感染防止策の新たな呼びかけである。彼女はこういったスローガンを掲げるのが得意だな…なんて思いながら私は野口雨情作詞の「7つの子(こ)」のことを考えていた。

 

からす なぜ啼くの からすは やまに かわいい7つの子があるからよ…

 

私はこの歌を聴くと思うことがある。夕暮れ時の烏の鳴き声はなぜこんなにも切ないのか?そもそもこの詩に出てくるからすとは烏のことなのか?7つの子とは7羽の赤ちゃんのことなのか?そして、まあるい目をしたいい子とは…一体誰のことなのか?

 

これはあくまでも私の印象でしかないのだが....

「からす」は「かあさん」。「啼く」は「泣く」。「7つの子」は「7歳もしくは幼子」。「山の古巣」は「山の故郷(ふるさと)」。「かわいい目をしたいい子」は「野口雨情」本人のことではないだろうか?

 

諸事情により故郷においてきた我が子に会いたくて、でも会えなくて…せつなさのあまり泣いている母…そういう詩に聞こえるのだ。実際にはどうなのであろうか?野口雨情の経歴を調べてみると母親は彼が29歳のときに亡くなっている。しかし幼少時代、どのような生活だったのか詳細はわからなかった。細かな事実はともかくとして、私はこの詩を「離れ離れになってしまった我が幼子を思う母親の心情の詩」のように思う。あるいは、もしかしたら…更に飛躍した推測なのだが...自分は母親に見捨てられたのではない、理由があって離れ離れになったに違いない。母は自分のことを愛しく思ってくれているに違いないと、「離れた母を慕う子供の心情を詠った詩」のようにも聞こえる。なぜなら、最後の歌詞が、山の古巣へ行ってみててごらん かわいい目をした いい子だよ だからだ。海辺の街に引っ越したおかあ、山奥の古里にいる僕に会いに行ってみてください ぼくはかわいい目をしたいい子に育ってます!という解釈はどうだろうか?そう考えると、烏の鳴き声が「ぉかあ!ぉかあ!」と母を呼ぶ幼子(野口雨情?)の鳴き声(泣き声)にも聞こえてしまう。そして更には…「おかあ」とはいわゆる「母」のことなのか?もっと別な、例えば…どんな自分であろうともいつでも包容し慈しんでくれる「母性愛」のたとえではないだろうか?何かに苦しむ自分が母なる何者かに、神様・仏様・ご先祖様「こんな私をどうか祓い給え、守り給え…」と祈りを捧げている詩ではなかろうか?そして古巣とは単純に自分が生まれた古里ではなく… 想像するとキリがない。

*   *    *

病棟に、夜中に大声で泣き叫ぶ認知症の患者さんがいた。家に帰ると訴えているのだ。帰れるはずがない。彼女は脳卒中になって歩けないからだ。しかし、彼女は帰らなければならない。なぜなら家にはおなかをすかせた小さな子供たちが待っているからだ。彼女は、「子供たちを育てるために必死に生きてきたあの日」に帰らなければならないのだ。

 

朝、出勤前のゴミステーション。烏がゴミ袋をつついてちらかしていたことがあった。お前はお前で子育てに必死なのかい?…私は黙ってゴミを集めた。電信柱の上でそれを見ていた烏と目が合った。優しい目をしていた。

                             旭川リハビリテーション病院副院長