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ドクターKの独りごと;絶対に言わないでください

「母には絶対に言わないで、ここだけの話にしておいてほしいのですが…」Aさんの娘はそう切り出した。当院に通院中のAさんが他院で不治の病と診断されたのだ。これ以上母を悲しませないでほしいというAさんの娘。「わかりました…。」娘様の気持ちを汲んで私はそう答えた。

 

「先生、私はどうして良くならないのですか?本当のことを教えてください」十何年と長い期間、外来主治医として寄りそってきたAさんに、私はどう接すればよいのだろう?「Aさんは病気と闘ってがんばっておられます。お気持ちもわかりますが、良くなることを信じてがんばりましょう…。」Aさんの病気の治る見込みがないのは医師である私は十分知っている。私に嘘をつかれたAさんは何を信じてばいいのか?何をがんばればいいのか?そしてAさんに「がんばろう」とにっこり微笑む私は一体…。

 

二者選択のジレンマに陥ったとき、何に従えばよいのだろうか?選んだその答えは自分の心に忠実だったのだろうか?社会には守るべき規範がある。嘘をつかないというのもそうだ。「鶴の恩返し」という昔話がある。鶴は命を助けてくれた男への感謝から、自らの羽を抜いて美しい布を織り、恩を返そうとするのだが、自分の正体がばれないよう、「決して機織り部屋をのぞかないでほしい」と男に約束させる。しかし男は開けてしまい、二人の仲が破局してしまう。この話は社会の関わりには、約束や節度が重要であるという示唆を含んでいる。乙姫様との約束を破って玉手箱を開けてしまった男が一瞬で老いてしまった「浦島太郎」も、約束を破ることの重大さ、約束を守らなければ大切なものを失ってしまうという教訓が伺える。

では「安宅の関」の話はどうだろうか?敵に追われた(敵とはなんと兄の源頼朝なのだ!)源義経が、弁慶をはじめとする家来たちと共に北へ逃げるその途中、安宅の関でそこの関守に正体がばれてしまう。しかし、弁慶の主君を想う心意気に打たれた関守は源義経や弁慶らの関所通過を許可する。関守は主君の命令や関守としての規範の板挟みになるが、弁慶の真摯な振る舞いに心を動かされ、最終的には主君の約束を破り、弁慶の心意気を重んじたのである。この話は、世の中は単に約束を守ること以外にも、自分の心に忠実な選択もまた重要であるということを示している。

 

Aさんに「お気持ちはわかりますが…」と言ってしまったことに後悔している。Aさんの置かれた状況も知らないのに、安易な言葉すぎたと思う。病気の宣告に関しては…何が正しいのかいまだに答えは出せていない。でも最近こう思う。少なくとも今の私がしなければならないことは、本当のことを言うのか言わないのか悩むことではなく、その場しのぎの慰みの言葉を言うことでもない。Aさんの心情を踏まえながら、Aさんの立場に身を置きながら、Aさんの言葉に共感を持ちながら、Aさんの一生に責任を負うという決意をAさんに伝えることではないのだろうか?

旭川リハビリテーション病院副院長

ドクターKの独りごと;「先生にすべてお任せします」

患者様の奥様はそう言って深々と頭を下げた。患者様の治療方針をご家族様に説明するとほとんどはこういったパターンで終わる。
「先生にすべてお任せします」とは一体どういう意味なのだろうか?と考えることがある。
私の話をすべて理解でき、そのうえで私の選択に同意しましたという意味とは、到底思えない。その証拠にそのあと多くのご家族はこう追加する「わしらはそう答えるしかないんだ…」。

 

白か黒か?右か左か?正しいのか間違っているのか?昨今の世の中をみると、物事を大きく2つに分けてあなたはどちらなのか?といった論議をするひとが多くなった気がする。世の中、二者選択で解決できるほど単純なものなのだろうか?話を単純にして物事を言い切る人はカッコいい。決断力もあってリーダーシップに長けているようにも見える。
しかし話を単純にするというのは、複雑なことを十分に咀嚼したうえで、すべての全体像が見えるように相手にわかりやすく伝えることである。複雑なことや面倒なことを省略するということでは決してない。そのためには相手がどういえば理解できるのかをあれこれ考えながら言葉を選ぶ能力が必要である。横文字やカタカナに略語、聞いたこともない単語…まるで話が見えない。だから我々は人を選ぶとき、何かを決めなければならないときは、その人の説明や能力とは全然関係のない、わかりやすい別の側面で人を選んでしまいがちだ。なにをしゃべったかではなく、誰がしゃべったか?

 

とはいえ、すべてが見えるように相手にわかりやすく伝えるというのは非常に困難であるのも事実である。特に医学用語は難しい。相手が理解できない言葉を使えば当然理解はしてもらえない。あるいは理解こそすれ、受け入れないということもあろう。相手が理解できるように言葉や表現を工夫するだけではなく、ときには文章にしたりシェーマ(図表)を用いるのも重要である。患者様やそのご家族のなかで意見が食い違うこともある。しかしそういう時こそ一旦引き下がって、とりあえず相手の発言を受け入れることも重要である。たとえ相手の理解が医学的に間違っていても相手の立場を理解することはできそうである。そして論議を先延ばしする(ネガテイブケイパビリテイー)ことも必要であろう。

 

医学という限られた分野だけでも大変なのだ。老若男女、あらゆる職業あらゆる立場のの全国民、そして世界中の国々と対応する政治家たち…凄いと思う。

旭川リハビリテーション病院副院長

りはぴょん19;七夕飾り

 

こんにちは りはぴょんです

8月は七夕ですね

 

北海道では函館や根室の一部を除いて旧暦の7月7日

にあたる8月7日に行われることが一般的みたいです。

早速、病棟でも飾り付けがおこなわれてました!

 

 

たんざくが置いてあって、

自由に願い事がかけるみたい

 

 

ごもっともです(^-^;

 

 

どなたかわかりませんが、

ありがとうございます!

 

私も何か書いてみようかな!

 

 

りはっぴいに彦星になってもらって、

わたしはおり姫様に…

 

 

「素敵♡」な飾りつけ

どうもありがとう!!

 

 

 

りはぴょん18;外来車いす清掃

 

当院では月1回、外来設置の車いすをpikka pikaにする日

があるそうです。それでリハっピイと2人で見学に

いってきました。

 

あ、もう始まってました!

 

事務のお姉さんたちが

一生懸命に車いすを

磨いています。

 

 

 

 

後ろのポケットの中も、

 

 

 

 

ステンレスの部分も、

 

 

 

 

 

 

 

pikka pikaにします!       

 

本当に…

 

 

pikka pika!

 

 

 

 

ねえ、りはっぴい、これに乗ってさあ、

お散歩行かない!

 

 

磨きたての車いすに乗って  ほんと

気持ちよかったあ!

 

「素敵♡」お姉さんたちの「素敵♡」な活動

どうもありがとう!!

 

 

ドクターKの独りごと;ただいるだけで

いわゆる寝たきりの患者さんが入院している。仮にAさんとしよう。Aさんは頚髄を患い、首から下はほぼ動かない状態である。手や足を動かすのはおろか、自分で寝返りさえうてない。生きていくための栄養はお腹に穴をあけて(胃瘻)そこから胃に流動食を流し込む。排泄や体交(床ずれができないように定期的に体を動かすこと)を含め、ほとんどすべてのことは看護師や看護助手にしてもらわなければならない。定年退職して、さあこれから人生を楽しもう!といった矢先の発病。Aさんやそのご家族は、筆舌に尽くしがたい苦しみであろう。発症から数年たってリハビリ目的で転院してきたAさん。セラピストの献身的なリハビリによって、Aさんは喉の穴(気管切開口)に特殊な蓋をして声を出すことができ、プリンやゼリーなどを食べられるようになった。転院したはじめこそAさんはいろいろと訴えが多かった。しかしその内容は痰が絡んで苦しいとかどこそこが痛いとかいったたぐいのことで、今振り返ってみると置かれた状況が辛いとか、どうして自分が病気になったのかといったことは聞いたことがない。看護スタッフやリハビリスタッフには本音をもらしていたのかもしれない。しかし少なくとも私の耳には入ってこなかったのは事実である。

そんなある日、Aさんとそのご家族とで一緒に当院の庭でひなたぼっこする機会があった。家族に囲まれて嬉しそうなAさん。遠慮してその場から少し離れ、Aさんとそのご家族の様子を遠目で見守った。積もる話に花が咲くAさんのご家族。Aさんは楽しそうにそれを聞きながら、時々相槌を打ったり、表情を変えたりしてじっと聞いていた。そしてご家族1人1人に近況を聞いたり何かのアドバイスをしたりしていた。会話の内容こそわからなかったが、家族の中心にAさんはいた。病人としてではなく、父として、夫として、じいじとして、家族のまんなかにAさんは存在していた。

  •    *    *    *

社会では、人間は行動で評価されることがほとんどである。今まであなたは何をしてきたのか?今あなたは何をしているのか?これからあなたは何をするつもりなのか?なにも行動していなければ怠けている、生産性がない、役立たずと評価されるのが普通であろう。でも、ただ居るだけというのは、本当に役にたたないのだろうか?

 

Aさんはたしかに自分では何もできない。しかしAさんはただそこに居るだけで何らかの役割を果たしていたように感じた。事実、あのときAさんはAさんにしかできない役割をもって家族の中心にいた。Aさんに聞いたことがある。以前から(今のように)立派な人だったのですか?笑いながらAさんは答えた「仕事から帰ってきてビールを飲んで寝る、普通のおじさんでしたよ」

 

初夏の日差しに照らされたAさんをみながら、ただいるだけで…有名な詩があったのを思い出した。

りはぴょん17;春の壁飾り

 

こんにちは りはぴょんです

桜が咲いたと思ったら、昼間は暑くて、

もう初夏ですね!

 

このまえ病棟で、春の飾りつけをみつけました

 

 

こいのぼりに、かぶとに、チューリップ…

 

 

蝶々は、はねの色がとってもきれい!

 

 

チューリップは、折り紙の手作りなんですね!

 

 

もしかして、

たんぽぽも手作りなのかなぁ? すごいなぁ!

 

 

今回、特別に、副院長の許可をもらって

お花畑のなかで1枚撮ってもらいました

 

みなさんはまねしないでくださいね(^-^;

 

「素敵♡」な飾りつけ、どうもありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年度新規入職者の皆様へ

 

2025年度新規入職者の皆様

数ある病院のなかから我々

旭川リハビリテーション病院を選んでいただき、

どうもありがとうございます。

心から感謝申し上げます。

今年度も20名を超える入職者をお迎えすることが

できました。我々一同とても嬉しく思っております。

 

さて、近年の医療改革や国内経済の影響を受け、

この医療業界も大きな転換期を迎えております。

しかし諸問題に直面し、個人の弱さや集団の脆さが

露呈されたその矛先は、いつも決まって患者です。

 

我々は、当院の基本哲学である

「患者さんが、まん中の医療」の方針に

ぶれることなく、

これからも全身全霊を傾けていく所存です。

 

どうかみなさまの若いお力をお貸しください!

そして一緒にこの荒波を乗り越えていこうでは

ありませんか!

 

旭川リハビリテーション病院副院長 小山聡

 

 

 

2025年3月に当院を退職される皆様へ

この春、当院を退職される皆様へ

 

苦楽を共にした仲間との訣別はつらいものです。

でもその選択が、輝く未来へ続くのであれば、

笑顔でお贈りしたく思います。

 

ありがとう

お元気で

 

strings K  オンブレマイフ

雪の華 by Strings K

約1年ぶりの動画配信になります。2025年冬の旭川と

近郊の風景をおりまぜて作成しました。

 

 

りはぴょん16;2025年のごあいさつ

 

2025年、あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします!

と思ったら、あっという間にもうすぐ2月…

リハぴょんはあわてて病院探検してまわりました💦

 

 

わあっ!

早速、すごいのみいつけた!

 

 

和製のガーラント、色使いがとってもきれい!

旭川市指定の木であるナナカマドの実もあるね

 

 

それにしても、

作業が繊細できれい…。これ、既製品じゃないよね?

 

 

奴だこもたくさん天井に舞っていたよ!

「素敵♡」なお正月飾り どうもありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

ドクターKの独りごと;2024年を振り返る

2024年もあと1日で終わり。今年もいろいろあったが、今年ほどイデオロギーのぶつかり合いで火花が散った年はなかったのではないだろうか?価値観の多様化。10人いたら10の正義がある。何が正解で何が不正解なのか?残念ながら全ての物事が満場一致で解決できるものではないのは事実だ。

 

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉がある。19世紀の詩人ジョン・キーツが唱えた言葉だ。どうしても対処できない状況に耐える能力のことを指す。容易に答えが出ない事態にも性急に事実の解明や理由を求めず、不確実さや未解決であることを受容する能力と言い換えることができる。

 

多様化する価値観のぶつかり合いや容易に答えの出ない事態に対して、最も必要なのは「共感すること」である。ぶつかり合いながらも最良の改善策にベクトルを向けるよう、意図的に柔軟にふるまう。最悪の事態にならないように能動的に耐える。現代はそういった能力が要求される時代であろう。

 

我々は今 分水嶺に立たされている。

「価値観の多様化」という時空を経て、

ひとは 医療は 世の中は

いったいどこに向かって流れていくのだろう?

 

旭川リハビリテーション病院副院長

りはぴょん15;冬が来た

「ねえ、りはっぴい…

あっちのほうはもう雪なのかな?」

 

 

         「そうかもね。

         もうすぐこっちも降るのかな…」

 

「いよいよ冬ね…」

           「スキーとかボード、

        新雪の山をぴょんぴょん跳ねるのも

               おもしろいよ!」

 

「あたし、寒いのは嫌なの…」

        

         「そなんだ。

         りはぴょんはさむがりだもんな」

 

             

             「ああっ、遂に冬だ」

 

「そうね、こうなったらもう

がんばるしかないわね」

             「うん。でも、

              冬は冬で、楽しい遊び、

                いっぱいあるよ!」

 

「そうなの?いろいろあたしに

教えてね! でもりはっぴい、

その前にやることがあるの」

 

              

              「雪かきかあ!!」

 

「そう! 手袋と帽子と、

 あ、りはっぴい、

 マフラーも忘れないで!

 

             「わかったよ…

            これを見ているみんなも

         冬をおもいっきり楽しもう!」

 

「雪かきは暖かい恰好でがんばって!」

ドクターKの独りごと24;マネーボール

ブラッドピット主演のマネーボールという映画を見た。大リーグの、とあるチームのゼネラルマネージャー(GM)となった主人公が破天荒なやり方で貧乏球団を常勝球団に変えてしまう話らしい。「あきらめるな、挑戦を」というキャッチフレーズにも魅かれた。アメリカンドリームの展開を期待して再生ボタンをおすこと133分、あっという間のエンドロールだった。

 

期待は全く裏切られた…いい意味でだ。内容が想定外だったのだ。チームは一気に強くなった。しかしそれは一人のヒーローや何かの奇跡によってではない。選手の評価基準をそれまでの評価と全く異なる方法に変更し、その基準に則ってチームを再編成したことによってなのだ。

 

ネタばれで恐縮だが例えば、ピッチャーは防御率ではなく、三振が取れてホームランを打たれない、四球を出さないことを基準に優劣を決めたのだそうだ。バッターは打率ではなく、出塁率を重視したそうだ。ファーボールで塁に出たっていいのだ。とにかくアウトにならないこと。これだけでもビックリな話だが、更に驚いたことに、この映画は架空の話ではなくて、今やプレーオフの常連であるアメリカメジャーリーグベースボールのアスレチックスの実話であったのだ。

 

エンドロールを見ながら思った。チームは誰もがやらなかった選手の評価基準に則って編成したから勝てたのだろうか?それだけではないだろう。将来的な目標に対して、どんなに叩かれてもブレずにそれを見失わないトップの精神。理論を知ってもらうために彼はロッカールームに出向き選手に声をかける「信じないかもしれないが、このチームは必ず優勝するのだ」ベンチ裏で1人1人に語る彼の声がチームを動かし始める。そこではじめてチームは常勝集団へと変わる。理論で人は動かない。トップの情熱によって人は動く。

 

ビジネスでも同じであろう。ビジョンを持つ。そのビジョンは「今」に当てはまっているだろうか?既知概念にとらわれてはいないだろうか?それを知るためには多くの部下と話さなければいけないだろう。それを具体的かつわかりやすい言葉で共有する。皆に理解してもらうためには部下のいるフィールドに降りて話をしなければいけないだろう。一人一人に役目を持たす。そのためには部下がどういう人間なのかを深く知らなくてはならないだろう。

 

ありがとう。偶然とはいえこの映画を見てほんとうに良かった。

 

旭川リハビリテーション病院副院長

ドクターKの独りごと23;「私、失敗しないので」

「私、失敗しないので」痛快な決めゼリフが有名な、女性外科医が主人公の医療ドラマがある。彼女は起こりうる全てのケースを予測して完璧な準備をする。それが失敗しない理由なのだそうだ。では偶発的な出来事に直面したときはどうなのか?そのときにはその人自身の適応能力が問われる。

 

とある講演会に参加した。本州からご高名の講演者が招聘された会だったのだが、飛行機が遅れて30分以上も到着が遅れるとのこと。さてどうする?ざわめく会場、不安気あらわなスポンサーの表情、情報収集にあくせくと動き回る講演会コーディネーター。しかしそういったものを全く意に介さず、その会の座長であるA医師は会場であるホテル側に指示を出した「ビンゴができるように用意して」。当選者には今後A医師が海外に出張したときの豪華な土産が景品としてもらえるという。5分後、会場はビンゴマシーンの音ときらびやかなネオン、軽快なBGM、そして観客の熱狂に包まれた。A医師の司会と進行で大いに盛り上がったビンゴ大会。30分遅れで会場に着いた講演者は扉を開けた瞬間、会場の場所を間違えたと思い引き返したとかしないとか…。

 

進化論で有名なチャールズ・ダ―ウインは、種の起源という著書のなかで「最も強い者が生き残るのではない、最も賢い者が残るのでもない、唯一生き残るのは変化できる者である」という言葉を残している。変化すること、変化できること、困難にぶつかってもそれに適応していくこと、乗り越えていく力、それこそが重要であるということをうかがい知れる名言である。この言葉とA医師の行動を一緒にするのは2人に失礼だろう。しかし、想定外の事象に対して適応していくA医師の言動は、そのまま脳外科医としての彼のスキルの高さに直結していることは容易に想像できる。

 

1948 年、WHO(世界保健機関)はその憲章前文のなかで、「健康」を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」と定義した。この定義は今日まで多く引用されているが、加齢にともなう機能低下、生活習慣病に伴う慢性疾患、治癒が困難な難病などが医療の中心となっている現在、健康イコール完全に良好な状態とすると、ほとんどのひとは健康な状態ではなくなってしまう。そんな中、2011年にオランダのヒューバー先生らは、健康について「社会的、身体的、感情的な問題に直面した時に適応し、本人主導で管理する能力としての健康」と提唱した。これは、疾患や障害があってもそれに適応して、自己管理していく能力こそが健康であるという内容である。健康とは個人や社会で変えられる動的なものであり、病気に適応していく力こそが健康であるのだ。少なくとも本人にとって病気とは想定外のことであろう。本人が自らの力で「病気」に対して立ち向かえる、すなわち「健康」を獲得するために、様々な角度から患者を支援する、これこそリハビリの奥義ではなかろうか?

 

 

  *  *  *  *

 

「先生、すごい対応でしたね!」私の言葉に「なんもさ、それより今日は講演会に来てくれてどうもありがとう」と言って颯爽と会場を後にしたA医師の笑顔がかっこよすぎた。 旭川リハビリテーション病院副院長

りはぴょん14;七夕飾り2024

 

こんにちは りはぴょんです

今日は年に1回の七夕の日です

病棟の掲示板も夏に模様替えしています

 

 

あじさいに、

 

 

いろとりどりの 金魚たち

 

 

これ、全部

紙や布でできています

 

 

織姫と彦星もいます

 

 

帯がとっても綺麗!

 

キラキラした投網飾り

幸せがいっぱいかかりますように!

 

 

素敵♡な飾りつけ

どうもありがとう!

 

りはぴょん13;りはっぴーとお散歩してきました

 

こんにちは りはぴょんです

今日は天気がいいので リハッピーを誘って

病院周囲をお散歩しました

 

 

きれいにカットされた木と 

白い花 黄色い花

 

思わず 横になってみました

 

気持ちいいーっ!   

             うん、気持ちいい(*^-^*)

 

             

             空ってこんなに広いんだね

そうね

 

 

ねえ リハッピー リスを見たことある?        

                     ないよ

ここにリスのおうちがあるらしいの 

                    そなんだ!

今日は出てきてくれなかったね    

                     そだね…

 

リハビリの杜には

しまえながが飛んでくるらしいよ

               へえー  そなんだ!

患者さんが鳴き声を聞いたことがあるんだって!

 

        

           りはぴょん 木登りしようよ!

あんまり高いところにはいかないでね

                大丈夫だよー(‘ω’)ノ

 

リハッピー、たのしかったね!

             うん、そろそろ帰ろっか?

そうね

 

太陽さん

素敵な一日を ありがとう

 

 

ドクターKの独りごと22;原爆ドーム

「人生終わった…」

A君はそう吐き捨て、目を真っ赤にして壁を凝視し続けた。

「先生、おれ、このまま死ぬんですか?もしそうならなんもしなくていいですから。リハビリなんかやるだけ無駄なんっすよ」「生まれ変わったら、今度はもう少しましな人生送れるのかな?」

クモ膜下出血に倒れ、リハビリ目的で転院したA君。急性期病院から転院してくるなりいきなりそう吐露した。「俺の人生、最悪なんです。何やっても裏目に出て…運が悪いというか、なんかの力で悪くなるように仕組まれてるとしか思えない。だから先生、頑張ったって仕方がないんっすよ。やるだけ無駄なんっすよ」やるせない気持ちを延々と続けるA君。「無駄」「無理」「最悪」が彼の常套句だった。たしかに彼には家族もなく、正確には妻と子供がいたのだが今は絶縁状態で、頼れる親もなく、身元保証人の高齢の親戚は遠い地方に居て面会には来ない。無職だったので、職場の人間も来なければまともな友人もいない。どうしてこんな人生になってしまったんだろう?倒れる前までの彼の生活は酒とたばことネットが唯一の楽しみだったらしい。無精ひげとボサボサの髪型は病に倒れる前からである。リハビリを全くやる気のないA君は、日中でもカーテンを閉めたままベッドに横になり、リハビリの時間になっても起きあがろうともしない。

 

A君に知ってもらいたいことがある。

 

きみは自分に運がないというが、クモ膜下出血は退院までに30%の人は亡くなり、15%の人は寝たきりとなり、15%は車いす介助となる病気なのだ。そして自分の足だけで歩ける確率は…。

残念ながらすべての患者が元の生活に戻れるわけではない。急性期病院からリハビリ病院への転院は、脳卒中による障がいと向き合うために与えられた緩衝期間であるとさえ思うことがある。そのくらいこの時期は精神的に過酷なのだ。しかし障がいを受容し、身も心も現実を受け入れなければ次には進めない。だから、A君に知って欲しい。

この病院には主治医の許可のもと、朝の6時から朝食前までの90分、夕食後から消灯までの2時間、歩行練習目的でひたすら廊下を往復している患者がいる。廊下ですれ違っても、表情を変えず言葉も発せず、口をへの字にして視線をまっすぐ前に向けたまま、修行僧のように黙々と歩いている。夏でも冬でも、今日も昨日も、1年前も20年前も、私が入職したときからそういった患者は常にいるのだ。彼らは、彼女らは、自分の手足が元に戻らないことは知っている。元の生活に戻れないことも知っている。しかし、彼らはみな、何かを信じて、おそらくは厳しい現実への恐怖と対峙し困難に立ち向かうことを決意した自分を信じて、その決意を停めないように、そして自ら人生を停めないように、明日への希望を信じて歩かずにはいられないのだ。

 *  *  *  *

影絵作家、藤城清治の作品に「悲しくも美しい平和への遺産」と題した広島原爆ドームの作品がある。戦争で痛めつけられたもの。その中から湧き出してくる生きる喜び。生命の尊さ、美しさを表現したとのことだ。非情にも破壊された日常。しかし静かにたたずむ原爆ドームの姿に、藤城清治は強く輝く生命の光を感じる。厳しい現実を前にしても尚、作者は明日への希望を信じる姿を作品に表現している。1945年8月6日からそこの時計は止まっているとばかり思っていた。でもそれは違う。ドームは計り知れない悲しみを背負いながら今でもなお、我々に平和を、希望を、そして未来を世界に発信し続けている。

 

「先生、元気っすか?」診断書作成のために連絡してきた、電話の向こうのA君の声は明るかった。結局いじけたまま自宅に退院したA君は2年後の今、介護士になって施設で働いているという。足を引きずりながら働く彼は、施設の利用者たちからとてもかわいがわれているらしい。そして1度は別れた妻や娘とヨリを戻したというのだ。

 

彼はまだ、歩き続けている!

彼の声を聞きながら私は、いつの日だったか訪れた広島の、木漏れ日に光り輝く原爆ドームを思い出した。

旭川リハビリテーション病院副院長

 

2024年度新規入職の皆さまへ

新入職員の皆さん、ご入職おめでとうございます。

数ある職場のなかから当院をお選びいただきありがとうございます。

心から感謝申し上げます。

皆さんと一緒に働けることを、我々は心から嬉しく思っております。

当院のフィロソフィーである「患者さんがまん中の医療」を目指して

一緒に頑張りましょう!

皆さまが立派な社会人として成長していくことを期待すると同時に、

我々も更に成長していくよう努力します。

 

 

毎年同じことを言い続けていますが…

私からみなさんにお願いがあります。

みなさんには是非、積極的にチャレンジする心を

もって欲しく思います。

 

コロナ禍の3年で我々は、誰も経験したことのない

多くの困難や、厳しい試練を受けました。

辛く悲しい犠牲もありました。

去っていった仲間もいました。

 

そのなかで我々は、患者様のために、

様々な発想や工夫によって、

今日までなんとか乗り越えてきたつもりです。

毎日がトライアンドエラーの繰り返しでした。

失敗のことが多かったように思います。

それはポストコロナの今でもそうです。

 

成功したことのいくつかは、若い職員からの

一言がきっかけでした。

残念ながら、年をとると柔軟な考えができなくなるものです。

ですから皆さんにしかできない発想は、

私たちにはとても貴重なのです。

上司に意見を言うのはなかなか勇気がいるものです。

でも私たちは、あなたの意見を待っています。

私たちこそ、皆様が意見を言いやすいように、

努力していきます。

 

 

もう1つ、大事なこと…それは、

  挑戦して、失敗しても

  そこで終わらせることではなくて

  がんばって成功するまでやり遂げること

 

 

どんなに辛くても、現状から目をそらさずに、

目標が達成されるまでは、決して逃げない

 

 

私自身、毎日自分にそう言い聞かせています。

 

さあみなさん!

この困難を この時代を この病院で 

我々と一緒に 乗り越えていこうではありませんか!

 

   旭川リハビリテーション病院副院長 小山聡

 

  

 

ドクターKの独りごと21;名脇役

メジャー脱三振記録、ノーヒットノーラン…野茂英雄の活躍は今では伝説である。しかしそれは野茂の非凡な技術と才能だけで成立したわけでは決してない。

 

今から30年前の1995年6月、野茂は日本人初のメジャーリーグ初完封を成し遂げた。しかしこの試合、初めから順風満帆な試合展開ではなかった。初回、極度の緊張なのか、ストレートでストライクが入らない。ファーボールでいきなり満塁のピンチとなった。駆け足でマウンドに駆け寄るキャッチャーのピアッザ。彼は言った「フォークでいこう!」。三塁にランナーがいるときに、一般的にキャッチャーはフォークを要求しないものだ。球を後ろにこぼして1点入る可能性があるからだ。「大丈夫だ。すべて体でとめるから!」当時試合中に通訳者をはさむことはできなかった。しかし野茂はピアッザの言葉を理解したのだろう。要求通りフォークを連投した。野茂のフォークはバッターの誰もが打つことができない魔球だったのだが、それはキャッチャーにとっても同様であった。ホームベースの上で突然ストンと落ちるその球は、捕球するのも困難だったのだ。後ろにこぼせば1点取られる状況で、ピアッザは野茂のフォークを何度も体で止めたのだ!そしてその回は1点も取られることなく終わった。いくらプロテクターをつけているとはいえ、時速100㎞超の硬球を何度も体で受けるとは…。数か月前にメジャーにやってきたどこの馬の骨かもわからない日本人の硬球を、体を張って受け止めたピアッザ…。

彼の心意気で波に乗った野茂。その後はヒットもなければ四球もないパーフェクトピッチング!終わってみれば2安打、奪三振13のメジャー初完封。9回トータル130球のうち、実に31球も要した1回の絶対的ピンチを変えたのは他でもない、ピアッザである。日本人初のメジャーリーグ完封の陰にはそんな「脇役」がいた。そして野茂伝説はここからはじまる…

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病院は、一人のスーパーマンによって成り立っているわけでは、決してない。世間では「スーパードクター」とか「カリスマ経営者」とかがニュースになることもあるが、組織が大きく成長するためには、その構成員である職員1人1人全員がその分野でプロとしての意識をもつことこそ重要だと、私は考える。もし病院に「脇役」という言葉があるならば、「主役」は患者であろう。患者が輝けるように、安心して病気と対峙できるように、我々職員一同は「名脇役」となって職務を全うしたいものだ。

 

開設から病院を作り上げてきた1人の「脇役」が職務を全うして、本日病院を去る。

 

感謝の気持ちしかない。   

         旭川リハビリテーション病院副院長 

りばぴょん12;病院食も負けてない!

 

塩分制限、カロリー制限、カリウム制限に、

おかゆにきざみ…。

入院患者さんの食事って、

どうしてこんなに制限が必要なのかしら? 

それとも私たちの普段の食事が、

あまりにも無頓着なのかな…。

 

今日は、病院食のレポをしてみました(^o^)丿

 

 

当院を退院した患者さんから、

病院食について伺うと、

きまって皆さん「おいしかった!」

と答えます!

 

「え?そうなんですか??

お味、薄くなかったですか?」

 

おそるおそるそう聞くと、

みなさん決まってこう答えます

 

 

「おかずに酸っぱいのや甘いのが入ってて

味が薄いなんて思ったことはなかった」と。

色とりどりなのも食欲をそそります。

 

もう1つ、病院食の特徴があります。

 

それは、季節を感じること。七夕に節分、

クリスマスにお正月…。

 

 

1年365日、毎日同じメニューじゃ、

今が春なのか夏なのかわかりませんもんね!

 

素敵♡な病院食をつくってくれてる皆さん、

毎日どうもありがとう!