「母には絶対に言わないで、ここだけの話にしておいてほしいのですが…」Aさんの娘はそう切り出した。当院に通院中のAさんが他院で不治の病と診断されたのだ。これ以上母を悲しませないでほしいというAさんの娘。「わかりました…。」娘様の気持ちを汲んで私はそう答えた。
「先生、私はどうして良くならないのですか?本当のことを教えてください」十何年と長い期間、外来主治医として寄りそってきたAさんに、私はどう接すればよいのだろう?「Aさんは病気と闘ってがんばっておられます。お気持ちもわかりますが、良くなることを信じてがんばりましょう…。」Aさんの病気の治る見込みがないのは医師である私は十分知っている。私に嘘をつかれたAさんは何を信じてばいいのか?何をがんばればいいのか?そしてAさんに「がんばろう」とにっこり微笑む私は一体…。
二者選択のジレンマに陥ったとき、何に従えばよいのだろうか?選んだその答えは自分の心に忠実だったのだろうか?社会には守るべき規範がある。嘘をつかないというのもそうだ。「鶴の恩返し」という昔話がある。鶴は命を助けてくれた男への感謝から、自らの羽を抜いて美しい布を織り、恩を返そうとするのだが、自分の正体がばれないよう、「決して機織り部屋をのぞかないでほしい」と男に約束させる。しかし男は開けてしまい、二人の仲が破局してしまう。この話は社会の関わりには、約束や節度が重要であるという示唆を含んでいる。乙姫様との約束を破って玉手箱を開けてしまった男が一瞬で老いてしまった「浦島太郎」も、約束を破ることの重大さ、約束を守らなければ大切なものを失ってしまうという教訓が伺える。
では「安宅の関」の話はどうだろうか?敵に追われた(敵とはなんと兄の源頼朝なのだ!)源義経が、弁慶をはじめとする家来たちと共に北へ逃げるその途中、安宅の関でそこの関守に正体がばれてしまう。しかし、弁慶の主君を想う心意気に打たれた関守は源義経や弁慶らの関所通過を許可する。関守は主君の命令や関守としての規範の板挟みになるが、弁慶の真摯な振る舞いに心を動かされ、最終的には主君の約束を破り、弁慶の心意気を重んじたのである。この話は、世の中は単に約束を守ること以外にも、自分の心に忠実な選択もまた重要であるということを示している。
Aさんに「お気持ちはわかりますが…」と言ってしまったことに後悔している。Aさんの置かれた状況も知らないのに、安易な言葉すぎたと思う。病気の宣告に関しては…何が正しいのかいまだに答えは出せていない。でも最近こう思う。少なくとも今の私がしなければならないことは、本当のことを言うのか言わないのか悩むことではなく、その場しのぎの慰みの言葉を言うことでもない。Aさんの心情を踏まえながら、Aさんの立場に身を置きながら、Aさんの言葉に共感を持ちながら、Aさんの一生に責任を負うという決意をAさんに伝えることではないのだろうか?
旭川リハビリテーション病院副院長