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ドクターKの独りごと16.「謹厳実直」野茂英雄

アメリカメジャーリーグで、打者と投手の「二刀流」で大活躍の大谷選手が新聞をにぎわしている。屈託のないその笑顔をみるたびに、私は今から20年以上も前にメジャーリーグで活躍した彼を思いだす。

 

1995年7月11日、アメリカ・テキサス州アーリントン球場で開催されたメジャーリーグオールスターゲーム。先発マウンドには野茂英雄が立っていた。日本人初の快挙である。彼は...けっして笑顔でメジャーリーグに挑戦したわけではない。日本プロ野球界から追い出されるように太平洋を渡らざるを得なかった。そして近鉄時代の年俸の実に1/10以下の契約で彼はアメリカの土を踏むことになったのだ。

 

「ドクターK」。スコアブックに三振(K)のマークがあまりにも並ぶため、彼は好意を込めて皆からそう呼ばれた。ロサンジェルス・ドジャースでメジャーデビューすると、その非凡な才能はすぐに頭角を現した。脱三振の山。「日本人がメジャーで通用するわけがない」と言われていた時代にである。そしてその年の7月にオールスター先発。2イニング1安打無失点3三振に抑えた25球。1年前の日本人の誰が想像したであろうか?

 

圧巻はメジャーリーグ屈指のホームランバッター、トーマスとの勝負。全球直球勝負の1ボール2ストライク。そして4球目、おそらくキャッチャーはフォークを要求したのだろう。そのサインになんと首を振る!そして投げた球は…内角高め渾身の直球!トーマスの唸るようなフルスイング。「カーーン!」…打った球はどこまでも高く上がったキャッチャーフライ…トーマスのバットが野茂の投げた球に差し込まれたかのように見えたのは錯覚だろうか?それにしても、あのトーマスに全球ストレートの真向勝負とは!当時のこの動画、何度見ても感動の涙を禁じ得ない。

 

アメリカに渡る時の記者会見で英語は大丈夫かと質問された時、野茂はこう言った

 

「僕は英語を話すのに行くのではなくて野球をしに行くのです」

 

アメリカから帰ってきたときの記者会見でストライクゾーンは大丈夫だったかと質問された時、野茂はこう言った

 

「僕が戦ってきたのは打者であって審判ではありません」

 

自分の力を信じて貫く実直な生き方は、ある意味不器用なのかもしれない。しかしそんな彼の生き方に誰が異議を唱えようか?

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昔、脳卒中で右手が動かなくなった若い女性がいた。何か月リハビリしても右腕はピクリともしない。『ちょっと難しいかな…』そう思いかけたとき、ようやく筋の収縮が認められはじめた。かと思うと、あれよあれよと良くなっていくではないか!彼女の目標は長い髪を後ろでお団子にまとめること。それが実現した時、我々医療スタッフは手をたたいて喜んだ。でも彼女はにこりともせずこう言った「これは違う。(髪の)お団子は頭のてっぺんでつくれないとだめだ!」…それからまもなく彼女は本当にそれを実現してしまったのだ!ミラーイメージのトレーニングを提案し,段ボールで手作りしてくれたリハビリセラピストにも脱帽した。リハビリセラピストも諦めていなかったのだ!

 

これを機に私は,患者の様々な可能性に対して「無理」という言葉は使うまいと決めた。患者と共にその可能性を信じ、どうしたらそれをもっと引き出すことができるか?ということだけを考えようと決めた。

    *    *    *

それにしてもこの年のMLBオールスターのメンバー。マルティネス、トーマス、リプケン、ロドリゲス、ボンズ、ランディジョンソン…そして野茂。プレステのドリームチームか?とつっこみたくなるような選手ばかりだ。カメラの前ではあまり笑わない野茂なのだが、グランドで皆とハイタッチする少年のような笑顔が忘れられない(そりゃ楽しいだろう)。(敬称略)

旭川リハビリテーション病院副院長